【すれ違い通信】
『掛け違いの、お歌だよ、掛け違いの、お歌だよ』
Friskは、最近毎日のようにかかってくる賭け間違いの電話にため息を吐きつつ、遠慮なく終了ボタンを押した。掛け違いだと分かったのならば、なぜこうも毎日かけてくるのか。相手方はいつも非通知のため、非通知を拒否する設定にもしてみたのだが、なぜかそれでもお構い無しにかかってくる。最初の数回は恐怖心があったのだが、さすがに数ヶ月も続くと自分の中でも習慣化してしまって、今ではその対応にも慣れたものだ。ただ、明らかに掛け違いをしているのは相手の方なのに、あたかもこちらが間違えているかのような歌を歌われると少々イラッとする。
Friskは出掛けるための身支度を整えながら、携帯を自室のベッドに放り投げて再びため息を吐いた。
あれから数年。長いようで短かった地下での冒険を経て、Friskとモンスターたちは共に地上へと降り立った。バリアを破壊した後のEbott山の山間で、その時目にした夕陽の輝きは忘れられない。そしてその際に先走ったPapyrusを皆で追いかけていったのも、今ではいい思い出だ。
あれから皆は地上で新たな生活を送り始めた。まだ時々地下へと行ったり来たりはするものの、生活の主軸はもはや地上だ。Friskはあの夕陽を見た直後、Torielの提案を受けて彼女と一緒に行くことに決めた。今では彼女をママと呼び、2人で住むのには充分すぎるほどの家に一緒に住んでいる。そもそも最初から地上に出れたとて、これまで共に過ごしてきた彼らと近いところに居たいと考えていたFriskは、彼女にどうするか聞かれた時に迷わずToriel と共に行くことを選んだ。AsgoreはたびたびTorielのところへやって来るけれど、残念ながら未だに彼女が心を許す日は遠そうだ。UndyneとAlphysはそれぞれ近いところに居を構え、相変わらず中睦まじく過ごしている。同居はしていないものの、それも時間の問題だろう。スケルトン兄弟はTorielの家の近所に、今までと同じように二人一緒に住んでいる。
Friskは自室で、写真立てに入れられたいつものメンバーでの集合写真を眺めてくすくすと笑った。正直ここまで来るのは、決して簡単な事ではなかったが、苦労は報われたと思っている。その最中で、自分に主導権は無かったとは言え許し難い行為を働いた事も否めないが、それでもこの時間軸で、全てを抱えて生きていく。もうリセットはしない。Friskはそう決めていた。
モンスターたちが地上へと出た事で、Asgoreが彼らの王として人間のトップと平和協定を結んだ。その際Friskはモンスターに理解のある人間として、双方の間に立って親善大使として立派に務めを果たした。けれどもちろんこれで終わりではない。まだまだ課題も沢山あるし、平和協定を結んだとは言え、人間たちがモンスターたちに理解を示すのはもう少し先の事になりそうだ。決して否定的という訳ではないが、それでも浸透させるのには双方にもそれなりの時間が必要だった。戦争が作り出した溝は大きい。少しでもその溝を埋めることに貢献できればな、というのが彼女の思いだった。
Friskは、眺めていた写真のフレームをさらりと撫でて、ハートのロケットを首から下げる。そうして、よし。と、決意と共に自分自身に気合いを入れた。それは彼女が毎日、1日を始める時の日課だった。
「行ってきます!」
Friskは親善大使でありながら学生としても、Torielの営む人間とモンスターの学校へ通い、ほかの子供たちと同じように学生生活を送っている。
その日は学校が終わると、Friskはまっすぐスケルトン兄弟の家へと向かうべく、足早に教室を出た。それはほぼ放課後の習慣となっていて、何も用事が無い時はいつも、彼女は2人に会いに行く。パスタを一緒に作ったり、散歩に出掛けたり、勉強を見てもらったりと、三人で居るとやる事も会話も尽きない。
Friskは、今日は何をしようかと考えを巡らせながら、足取り軽やかに校門を潜った。すると、後方から彼女を呼ぶ声がする。
「Frisk!一緒に帰ろう!」
急いで走ってきたのだろう、上がる息を整えながら、クラスメイトのモンスターの少年がFriskを呼び止めた。
Friskは持ち前の優しさからか、モンスターと人間から分け隔てなく人気がある。このように帰り際に声をかけられるのも、決して珍しい事ではない。返事をしようと口を開いたところで、聞き覚えのあると比喩するには馴染みすぎた声が彼女を呼んだ。
「Frisk!迎えに来たぞ!」
その声に振り向けば、予想通りの姿をそこに見つけてFriskは満面の笑みを浮かべた。
「Papyrus!」
Friskはモンスターの少年へと向き直ると、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね。ボク、帰りはいつも約束があるんだ」
「そっか、それならしょうがないもんね。わかった。また明日学校でね!」
その少年は少々残念そうにしながらもしっかりと挨拶をすると、ばいばい、と手を振って立ち去った。
その姿をしばらく目で追って、PapyrusはにっこりとFriskに笑いかける。
「相変わらずFriskは人気者だな!」
「そ、そんなことないよ!親善大使もやってるから感謝されたりする事はよくあるけど」
「うむ。だが兄弟も心配していたぞ」
PapyrusはFriskの手を取って歩き始めた。
「『あいつはお人好しすぎて誰でも信じる傾向にあるからな、目が離せない』とな!俺様も友達を作るのは好きだがSansのその意見には賛成なのだ。兄弟に言わせれば俺様もFriskとそう変わらないらしいがこういうことには気をつけた方がいいらしいぞ!」
その言葉にFriskはくすくすと笑った。
「わかった。じゃあボクたちお互いに気をつけてないとだね!Sansに叱られちゃう。ありがとねPapyrus」
「NYE HEE HEE!!俺様はグレートなPapyrus様だからな!何か困った事があったらいつでも言うんだぞFrisk!」
そう言って頭をがしがしと撫で回してくるPapyrusに、髪が乱れるのも構わずFriskは嬉しそうにうん、と頷いた。
実は、PapyrusがFriskの事を学校まで迎えに来るのは初めてのことではない。初めこそFriskは一人で通っていたのだが、ある時誘拐されかけた事があったのだ。おそらく親善大使としての価値に良からぬことを企んだ者たちの仕業だろう。いくら地下での冒険を成し得たとは言え十代半ばの少女の腕では、太刀打ちできるはずもない。その時はたまたま通りすがったUndyneのおかげで事なきを得たが、それからは必ずPapyrusかSansのどちらか が迎えに来ることになった。Friskは申し訳ないし、そんな迷惑はかけられないと言ってやんわりと断ったのだが、二人が頑として譲らず、その方が自分たちも安心するからと言って、終いにはFriskが折れた。けれど今では結果的にこうなって良かったと彼女は思う。大好きな二人と居られる時間が増えるというのは正直に言って嬉しい。
「そういえばFrisk、またここ最近Sansの調子が良くないんだが、何か知らないか?」
その言葉にFriskは顔をしかめる。
「また?しかもPapyrusにも教えてくれないの?」
「うむ。最近特に兄弟は何か抱え込んでるみたいでな。前からそれは知ってたが最近は更に...なんとなくそういうのは分かるんだが、どうやら俺様には隠しておきたいことみたいなのだ」
だからよかったらそれとなく聞いてみてくれないか?とPapyrusは眉を下げる。Friskはそれにしっかりと頷いた。
正直なところ、心当たりが無い訳では無い。そしてそのSansの悩みの原因の一部はおそらく自分だろうとも。地下世界での冒険の最中に密かに知り得たことだが、どうやらSansはそれとなくセーブやロードの概念を把握しているようだった。その頃はめんどくさがり、という印象しかなかったが、今思えばそれは Friskが死ねばロードし直されてしまう事で時間が巻き戻ってしまうせいだったのかも知れない。現に、地上へ出てこの生活が日常化してからは、一度もリセットやロードを行われておらず、時間が巻き戻ることもない。そのせいか前よりはSansも、なんというか、ちゃんと今を生きている、と言う気がしている。何よりFriskは今、まさにこのように皆で地上に出れる道を探していたのだし、目標が達成された今、逆にFriskでさえこの力を恐れている。おそらくSansも同じだろう。もともと量子力学を通じて時間軸の研究をしていたとAlphysからちらりと聞いたことがある。元々研究に関してはワーカホリックな一面があるとも言っていたから、最近またその研究を再開したに違いない。
スケルトン兄弟の家に着いたら、Papyrusのいない時にそれとなく聞いてみようとFriskは決意を固めた。
「わかった。ボクもSansのこと気をつけとくよ!ちなみに調子が良くないっていうのはどうしたの?」
Friskは尋ねつつ、隣を歩くPapyrusを見上げる。
「うむ。地下にいる時はこんな事はなかったが、地上へ来てから疲れる度合いが高くなったとは前に話したな?」
「うん」
Friskは頷く。そう。Sansは地上へ来てから何度か体調を崩したことがあり、それを受けて、FriskとPapyrusは二人で『Sansを守る会』というのを密かに結成したのだ。ちなみに現在のメンバーは二人だけである。
「Sansも心得ているからな、地下にいた時は小まめに休んだりとか割と気を使っていたんだ。だがな...」
Papyrusは頭を振り、
「最近のSansは自分をあまり省みていないようなのだ。あまり休んだりせず、それこそ死んだように眠るまで何かをしている。確かにSansが怠けているときには俺様はよく怒ったが、俺様が望んでいたのはこういう事ではないのだ」
そう言って悲しそうに肩を落とした。
「そうなんだ...」
「うむ。だからよかったら兄弟の話を聞いてやってくれ!これは俺様の勘だが、FriskならばきっとSansも話してくれると思うのだ!」
Papyrusの勘はよく当たる。
正直、FriskはSansに直接聞いたとしても、もしも原因が、Friskが想像しているような事ならば、この件に関しては言葉を濁されるかもしれないと思っていた。けれどスケルトン兄弟の家へ着き、Papyrusが後は頼んだぞ!とFriskに呟いて台所へ消えたところで何をしているのかと問いかけてみると、ちらりと台所の方を一瞥しただけでSansは案外あっさりと口を開いた。
「そうだな、また研究を始めた」
ソファにだらしなく寝そべって、テレビを見るでもなくチャンネルだけを切り替えながらSansは答える。Friskはそれにふうん、と頷いて彼の足元の方に腰を下ろした。
「で。それを聞いてどうする?」
「ボクも力になれないかと思って」
そう提案するFriskにSansは笑って、ひらりと手を振った。
「僕の研究はお前さんには難しくて無理さ。お前さんに何ができる?一体何を知ってる?」
含みを込めたSansの声にはどこか棘がある。まるで腹の探り合いだ。Friskはむっとして、膝を抱えながら彼を流し見た。
「例えば...この時間軸が巻き戻ることが無いように奮闘している事とか?」
少し意地の悪い返しになってしまったかもしれない。
「......何が言いたいんだ、お前さんは」
やはり図星だったのか、不機嫌そうにしながらSansはFriskに視線を向ける。
「無理はしないで」
「?」
けれど彼女の答えにSansは不思議そうな顔をした。
「わからないなら何度でも言ってあげる。無理はしないで。ボク、Papyrusから最近Sansがよく倒れるって聞いたんだ」
Friskは視線をSansから外して膝の上にあごを乗せ、ただ前を見つめた。
「Sansがその件に関してボクの事を良く思ってないのは知ってるよ。ロードとリセット…ボクは、自分が何をしてきたのかちゃんとわかってる。言い訳はしない。これは自分のわがままだっていうのもわかってるけど、それでもボクは、Sansには...皆には幸せでいて欲しいんだ」
「......ろ」
「ボクだって怖いよ、もう繰り返したくない。皆のことだって守りたいしその為だったらボクは...」
「やめろ...!」
FriskがSansの声に驚いて振り向けば、彼はいつの間にか起き上がってこちらを見ていた。その眼窩は暗く、何を思っているのかは読み取れない。
「……ごめん」
しゅんと頭を垂れるFriskに、Sansははっと我に返った。
「あー、いや。怒鳴って悪かった。これに関してはお前さんだけでどうこうできる問題じゃないんだ」
だから気にするな。そう言って手を伸ばし、Friskの頭をくしゃりと撫でた。
「二人とも!支度ができたぞ!」
台所からPapyrusの声が上がる。
「ほら、行くぞガキんちょ」
Sansは立ち上がり、こちらへと手を差し伸べてきた。Friskも、ややあってその手を握り返す。Papyrusを手伝うべく2人一緒に台所へと向かった。
ボクだけでどうにかできない問題ならSans、君はどうなの?
Friskは手を引くSansを追いかけながら、その背中に声の無い問を投げかけた。
――――――――――――
Sansは焦っていた。
地上へ出てから今のところはまだ、時間は巻き戻っていない。けれど、それが何の気休めにもならない事をSansは知っている。地下世界にある雪の降る町 Snowdin、自宅の地下室に残してきた、あの写真を思う。何枚も、何枚もの写真。それらはすべて同じものだ。地上で、Friskを囲んでいつものメンバーが笑っている、幸せそうな写真。他の者が見れば、なぜそんなに同じ写真を保管しているのかと微笑ましくも笑っただろう。けれど彼にとってそれは決して笑い事では済まされない。なぜならその数は、少なくとも地上へと出ることの出来た時間軸にリセットがかけられた数と同義のはずで、その先の未来へ歩み出すことが許されなかった自分たちの残骸だからだ。
おそらく、Friskは全てを知っている。実際に話を詳しく聞いた訳では無い。けれど数日前、地上にある自宅のソファの上、二人で言葉を交わした限りでは、少なくとも時間が巻き戻った事がある事を知っていて、且つそれに関わっているのは明白だった。
正直、Friskがその件について口を開いたことについては、いつかは話してくれるだろうとは思っていたし、本人もそれについては決して肯定的な感情を抱いている訳では無いこともわかった。けれど彼女が幸せを願っていると言った時には、まるでそれが彼女自身は含んでいないように聞こえて、ならお前さんはどうなんだと叫びそうになった。
Sansは初めの方こそループする時間が記憶に残ることは無かったものの、いつからか巻き戻っても自分だけはFriskと同じように記憶が残っていることに気づいた。こっそりと彼女の事を見極める為に後をつけていた時には度々、Friskは傷ついた体で独り地面に這いつくばって、ごめんねと謝り、次こそはもっと頑張るからと涙していた。そして大体そのセリフのあとには、 世界はブラックアウトする。そうして少し前の時間まで戻るのだ。Sansはそれに気づいていない振りをした。自分に干渉権が無い以上、そう在るべきだと思ったし、彼女が知る必要も無いと思った。だから彼が全部覚えているという事を、彼女は知らないだろう。でなければ彼に対して律儀に何度も同じ返しをしてくる事はなかったはずだ。彼に対する態度も、今とは全く違っていたはずだ。
なぜならSansは、一部の時間軸で、残虐だった時の彼女も覚えている。
それが果たしてFrisk本人だったのか、はたまた別の誰かだったのかは分からない。けれどその時の彼女の様は、Sansが他の時間軸で言葉を交わしてきたどのFriskとも全く違った。残虐且つ冷酷。慈悲の欠片も無い。彼の兄弟を、友人たちを、あるいは彼女の友人でさえあったはずの彼らを、そんな事実などどこにも無かったかのようにことごとく塵へと還し、最後に廊下へと姿を現した時には、彼女の服は白く汚れていた。
今でもはっきりと覚えている。時間軸としてはたったの一度しか経験しなかったはずだが、Sansにとってそれはまさに地獄だった。彼女に「最悪の時を過ごさないか」とは言ったものの、そんな時を過ごしたのは自分の方だったのかもしれない。
それまで一度も目にした事の無かったような笑みを浮かべ、ナイフを握り締めて向かってくる姿。何度も彼女を殺した。一度目は戦闘開始早々に骨で貫いて、二度目は串刺しに、三度目はブラスターで跡形も無く消し飛ばした。そのあと何度戦ったかは覚えていない。けれどだんだんと彼女の手際が良くなって、最後には自分も殺されたのを覚えている。
そして次に気付いた時には、Ruinsのすぐ側にある見張り小屋だった。毎回、巻き戻しが起こった時に戻される、一番古い時間。その時も予想に違わずFriskが木でできた陳腐な橋のところまでやってきて、Sansは毎度の事のように手を差し出した。けれどその時ばかりは手が震え、危うくブーブークッションを取り落としそうになった。彼女はいつもなら手を握り、音がなったとたんにぱっと手を離すのだが、その時だけはなぜか手を優しく握りこんで、本当に嬉しそうに、こちらへ花が咲くような笑顔を向けてきた。その様子に、救われる心地がした。おそらく先の時間軸での出来事は、彼女自身の意思ではないにせよ、記憶としてはあるのだろう。Sansは言葉にこそしなかったものの、赦しと、安心しろ、と意味を込めて、いつもそうしてやるようにへへ、と笑い返して、手にしたブーブークッションごと、彼女の手を握り締めてやった。
それでもあの「最悪の時」は今でも夢に見て、うなされる事もある。
Sansには、Friskが先日言わんとしていた事がよくわかる。誰も死なない、皆が皆幸せになれる道を探して、その実彼女自身が一番傷ついていた事も。わけのわからない奇妙な力を抱えながらも、小さなその身に決意を携えて必死に前を向いていたことも。もしかしたら「最悪の時」でのことだって、あの優しい彼女の事だ。自由は無く、友人たちを屠ってゆく自分自身のその体に、内では涙していたのかもしれない。
だから、Sansは自分自身に腹が立つ。確かに全てを諦めて、何もかもを投げ出したのは落ちてきた人間たちが引き起こしてきたのであろう繰り返されるロードとリセットのせいだ。けれどもし、記憶が残るようになってからでもFriskに協力することができていればどうだっただろうか。何周目かで、彼女の誠実さを見極めてからでも手を差し出してさえいたならば、おそらく事はもっとスムーズに進んだに違いない。彼女があんなに死ぬ事もなかっただろう。
これはある種の自分の罰だ、とSansは思う。決意を抱いて、自分を犠牲にしてまでモンスターたちの幸せを願ってくれた少女をただ傍観していた、自分への罰だ。Friskがもたらしてくれたこの幸せな時を、彼は素直に喜べていないでいる。未だ、明日にでもリセットが起こるのではという懸念が付き纏う。けれどそれは、決して彼女を信じていないからではない。逆に、彼女の身に何かが起きてしまう事で、彼女が積み上げてきた全てを、結果として彼女自身が壊してしまう事になるのではないかと、ただそれだけを恐れている。
おそらく、Friskが「今」を掴むまでにどれほどの犠牲を払ってきたのかを知る者はいないだろう。彼女でさえ、Sansが割と詳細に覚えている事は知らないに違いない。だからこその先日の言葉のように思えた。「皆の幸せを願っている」、「そのためならボクは…」、なんでもする、と。おそらくそう続ける気だったに違いない。彼はその先の言葉を聞きたくなかった。彼女は簡単に自分自身を差し出して、他者の事を省みる。そんな彼女とは裏腹に、自分の不甲斐無さに嫌気が差す。地下にいた頃の、何もかもを諦めて怠惰に過ごしていた自分を叱咤してやりたいとさえ思う。
Sansは、Friskもリセットについて何やら思う所があるらしいというのは、常日頃からなんとなく感じ取っていた。それはそうだろう。今この時を目指して、彼女は地下世界をただひた走って来たはずなのだ。彼女の求めていたはずの「皆の幸せ」が、ここにはある。それを失うわけにはいかない。いつでも「次こそはもっと頑張るから」と呟く彼女の声が脳内に響く。この時間軸を確固たる物にするために、少しでも研究を進め、リセット、あるいはロードが起こらないようにする必要があった。
「……s」
けれど逆に今のところ、起きる事のない時間の巻き戻りの観測をできない今は過去の記録を漁るしかなく困難を極め…
「…Sans!!」
気がつくと、コーヒーを両手にしたAlphysがSansを心配そうに覗き込んでいた。どうやら長い事物思いにふけってしまっていたらしい。
「S, Sans…あ、あなた、大丈夫?」
「ああ、少々考え事をしていただけだ。ま、頭のなかはスッカラカンなんだがな、スケルトンだけに」
そしてウインクを一つ。そんなSansの様子に、コーヒーを手渡しながらAlphysはため息をついた。
ここは、HotlandにあるAlphysの研究所だ。先の実験が露呈してから宮廷科学者としての地位は剥奪されたものの、未だ建物や設備は残っており、研究施設としては申し分ない。今回、Sansは研究を再開するにあたって、どうしてもどこかしらの場所には腰を据える必要があったため、Alphysに協力を仰いだ。
Sansとしては場所さえ借りる事ができればよいと考えていたのだが、Alphysが手伝うといって頑として譲らなかった。普段はおどおどとしている彼女だが、こうなると梃子でも動かない。結局研究所自体も使用権限は未だ彼女のものだし、協力体制をとることに同意した。そのため、ロードやリセットの概念について、Friskと自身の事は伏せてかいつまんで説明したのだが、以降、こうして助手のような事までしてくれている。ありがたいことだ。
「Sans、あなた昔より無理してない?」
コーヒーに口をつけるでもなく、両手でカップを握りこんだまま、Alphysは向かいの席に座って問いを投げてくる。
そりゃあ無理もするさ、時間が無いからな。いつリセットが起こるか分かったものじゃあない。Sansはそんな言葉を飲み込む。
あくまでAlphysには昔の研究を再開するという体で話をしているため、それが今の状況に直結しているものだとは伝えていない。この事については、知る者は少ない方がいいとSansは思っている。おそらくFriskも同じ考えだろう。しかしAlphysにしてみれば、今までと同じような研究テーマにも関わらず、昔と違ってがむしゃらに研究に没頭する彼は酔狂に見えているに違いない。だが少々無理をしている事は否めないため否定はしない。
「heh…そうかもな」
研究資料に目を走らせながら、返事をする。少々素っ気無いものになってしまい、彼女がため息をつくのが感じ取れた。
「Sans、あなたが何を思ってそこまでするのかは、私には分からないわ」
本当に真剣な話をする時、どもらなくなるAlphysの癖、Sansは視線を上げた。
「けど、あなたを心配する人たちがたくさんいる事は忘れないで欲しいの。ここ最近のあなたは少々無茶が過ぎるわ。それはあなた自身が一番よくわかっているんじゃない?」
Sansは先日、「無理はしないで」と言ったFriskを思い出す。兄弟も、勘のいい彼のことだ、何も言っては来ないがいつもより世話を焼いてくるあたり、きっと気付いているのだろう。それでもSansは立ち止まりたくなかった。ほんとうに、この時間軸が愛おしいのだ。何度も時間が巻き戻るのを経験した。そしてそれは大体、誰かが欠けたときに起こった。けれど今、ここでは全員が生きていて、笑っていて、その中心にはFriskがいる。それだけで、Sansは生きている心地がした。Friskがもたらしてくれた今を守りたい。そしてそれを確固たる物にするならば、できればなるべく早い方がいい。自分を犠牲になどと言うつもりは毛頭無いし、それこそ他人のために死んでやるつもりも無い。しかしそれとこれとは話が別だ。少々無茶が必要な時もある。今まで散々サボってきたのだ、今くらい働いておいても罰は当たるまい。
「まあな、自覚はあるさ、一応な。けど今やってることについては急ぎなんだ。早けりゃ早いほどいい」
「……それは、なぜかは聞いてもいいのかしら?」
「怠け者の僕でも、指先の骨くらいの意地はあるってことさ」
Alphysはそれに呆れたため息をついた。
「……いいわ、最早あなたとは腐れ縁だもの。とことん付き合うつもりよ、たとえあなたが多くは語らなくてもね。けど!」
そこで彼女は珍しく語尾を荒げて机から身を乗り出した。
「Friskは泣かせちゃだめよ」
その言葉にSansはぎくりとする。
「なぜそこでガキんちょが出てくるんだ」
Alphysは驚愕と共にぱちくりと目を瞬かせ、
「まさかあなたたち…」
次いで机へと突っ伏してしまった。
「焦れったいわ!」
そんな彼女の反応にSansは訳が分からず、首をかしげながらコーヒーに口をつける。Alphysが入れてくれたコーヒーは昔と同じ、自分好みの懐かしい味だったが、この時ばかりはケチャップが飲みたい、とSansは思った。
――――――――――――
「Papyrus、ごめんね。あんまり詳しい事は聞けなかった」
後日、FriskはPapyrusと学校から帰る途中、二人で近所の公園へと寄り道をして、並んでベンチに腰掛けながらそう伝えた。
「でも、また研究を始めたって言うのは間違いないみたい」
肩を落とす彼女に、Papyrusは明るくその背を叩く。
「ありがとなFrisk!けど大丈夫だ!Sansのダメなところは俺様たちが支えればいいのだ!」
俺様たちは『Sansを守る会』の重要なメンバーなのだからな!そう言って彼はにこりと笑った。それにつられてFriskも笑みをこぼす。
そんなPapyrusの笑顔を眺めながら、そういえば、自分はSansの事を全然知らないな、とFriskは思った。
いや、知らないというのは少々語弊があるかもしれない。彼はケチャップが好きで、めんどくさがりなところがあり、靴下を収集する妙な趣味を持ち、自身で望遠鏡を所持する程度には星に興味があり、ジョーク好き、そして昔はAlphysと同じ様な研究者だった、というのは知っている。けれどFriskは、友達ならば普通は知っているような、ケチャップ以外の彼の食の好みだとか、好きな色、好きな場所といった、在り来たりな事を知らない。それに、Papyrusにこっそりと教えてもらうまで、Sansが疲れやすい体質なのだという事も知らなかったのだ。それも、Papyrusに絶対に本人には言わないようにと口止めされたことから察するに、彼自身も自分の体質についてはFriskに言うつもりが無い事なのだろう。そういったちょっとしたところで、どうしてもFriskはSansとの距離を感じてしまう。
先日の、ソファでの会話もそうだ。Friskは、彼がなぜ不機嫌そうに声を荒げたのかが分からなかった。
「ボク…Sansに嫌われちゃったのかも…」
ぽつりと呟くと、本当にそうかもしれないという気持ちが更に溢れてきて、Friskは瞳いっぱいに涙を溜めた。Papyrusがそれにぎょっとして、けれどFriskを自分の方へと向かせるとしっかりと彼女の両の手を握りこむ。高い背を少し屈めて目線を揃えた。
「Frisk!」
Friskは驚いて、涙に濡れた瞳を瞬かせる。その拍子に、溢れ出た雫が頬を伝った。
「それは違うぞ!あー、兄弟から直接聞いたわけじゃないが、これは絶対だ!」
「どうしてPapyrusはそう思うの?」
その問いには少し困ったような笑みを浮かべながら、Papyrusは頬を掻いた。
「ほら、こないだうちで夕飯を食べていった時、その日のうちにFriskは兄弟に、俺様が気にしていたことを聞いてくれたんだろう?そのときに内容までは聞こえなかったが、Sansの怒鳴り声が聞こえたからな、気になって、あとでこっそり一体どうしたのかと聞いてみたのだ」
Papyrusはどこからともなくハンカチを取り出して、Friskの頬を拭いてやった。
「その時のSansの顔といったら!」
にこりと笑いかけてくる彼に、Friskは首を傾げる。
「俺様でも今までに見たことが無いほど落ち込んでいたのだ!兄弟はめんどくさがりだからな。いつもは誰とでもそつなく仲良くするが、その反面、あまり深入りはしないのだ。その兄弟が!きちんと相手のことを気にかけている!これはすごいことだ!」
だから、とPapyrusは続けた。
「Friskはそんなことで悩まなくていいのだ!俺様が言うのだから間違いない!SansはFriskのことを嫌ったりなんてしてないぞ!」
自信満々にきっぱりと宣言するPapyrusに、Friskは上目遣いで尋ねた。
「…ええと、その根拠は?」
「勘だ!」
得意げに胸を張る彼に、一瞬きょとんとした後、Friskは思わず噴出した。そうか、ならば間違いない。彼の勘だと言うのなら、きっとそれは本当なんだろう。二人して笑いながら、FriskはPapyrusにありがとう、と呟いた。
Sansの様子では、やはり研究関連の事で何か悩んでいるのだとFriskは予想をつける。けれど、それを無理に聞き出すこともしたくない。ならば、自分は自分で、できることをやってやろうではないか。
Friskは新たな決意を抱いて、勢い良く公園のベンチから立ち上がった。
「Papyrus!」
「なんだ?」
「ありがとね!ボクも、別のところからSansをサポートできないか考えてみるよ!」
Sansが再び倒れたという知らせをFriskが聞いたのは、その数日後の事だった。
2016/08/15