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【あの頃にさよなら】後編


▲ 6 


 手術室のランプが点灯した。廊下に並べられた長椅子に一人座り、床に反射する赤をただ見ていた。
 先ほど少女を庇ったときについた傷を手当てすると言われもしたが断った。彼女を救うことが間違いだったとは思わないが自分のせいでクダリがこんな状況になってしまったことに変わりはない。やるせなさと悔しさで、自然とにぎりしめた拳に力が入る。
 しかし一方で、これでよかったのだと言う声もあった。自分が地上へと送られてきた目的は、共に生まれる悪魔の邪魔をすること。あわよくば、殺してしまう のが望ましいとさえ言われていた。このままクダリが命を落とせば、自分の使命は果たされたことになる。そうすればすぐにでも天界へ帰ることだってできるだ ろう。今現在の両親には天界からの恩恵として、彼らにとって考えうる限りの幸福が約束される。
 本来ならば天使として、それらは喜ぶべきことだ。しかしノボリの気持ちは理想とは裏腹に、もやもやと晴れないままである。この気持ちをどう表現すればい いのか、またその気持ちを向けるものとして相応しいものかと考えあぐねていた。自分の抱えるその気持ちを認めてしまうのも怖かった。どっちつかずのまま、 中途半端にゆらゆらと揺れている。

 つと、人気のない廊下に足音が響いてノボリが顔を上げた。

「ノボリ…!」

 駆けつけたのは両親だった。ノボリの姿を見つけると、母親の方が駆け寄って彼のことを抱き締める。父親はそんな二人の脇に立ち、ノボリに静かに問うた。

「クダリはどうだ、医者は何と?」

「…手術が成功すれば、助かる見込みは高いと言っていました。」

 ぽつりと、ノボリは医者の言っていた言葉をそのまま伝える。

「そうか…。お前も、辛かったな。」

 そうして、頭に優しく手が置かれ、安心からかノボリの頬を涙が伝った。


 両親二人も、ノボリを間に挟むようにしてベンチへと腰を下ろした。重い空気を抱え無言のまま、三人はただ待っている。
 手術が終わるまで続くかと思われた沈黙は、しかしノボリが静かにやぶった。

「…クダリとよく一緒に読んだ本に、こんなことがあったんです。」

 つと口を開いたノボリに、両親が彼の方を向く。ノボリが意味の無い話をするような子ではないということをよく知っていたから、場違いだと思われた話の切り口にも二人は黙って耳を傾けた。

「とても仲のよい、二人の子供がいました。いつも、どこへ行くのも何をするにも一緒でした。けれども二人は、相反する役割を背負って生まれてきていたのです。」

 ノボリはそこで一度区切ると、ため息を一つ。

「それを全うするためには、他方を殺さなくてはなりませんでした。」

「しかし、二人の内の一人は、仲のよいままでいたいと、共に遊びたいと言って自らの力を進んで他方の子供に封じられました。けれどそれは、自分を守る術さえも失うということだったのです。結果、彼は事故にあって重症をおってしまいました。」

「残された方の子供は混乱しました。彼が死ねば、自分の役割は全うされます。しかし、彼がいなくなることを思うとなぜだか苦しくて、胸の辺りが痛いのです。」

 そこまで言って、ノボリは口をつぐんでしまった。そんな彼の頭に、母親がぽん、と手をのせる。そして自分に引き寄せた。

「その子はきっと、事故にあったという子に死んでほしくないのよ。」

「…そう、なのでしょうか…」

「本当は聞くまでもなく、その子は、自分の気持ちは分かっているんじゃないかしら。私は、その子には役割よりも自分の気持ちに素直に生きて欲しいなって、そう思うわ。その役割は、自分の気持ちよりも優先しなければならないほど大切なものなのかしら。」

 母親の言葉に父親も頷く。

「大切だと思う相手を失ってまでやり遂げねばならないことに価値はあるのか?もし仮にそうだとしても、その子はきっと一生を後悔することになるだろうな。」

 ノボリは、二人のことは親として認めながらも、所詮は人に過ぎないとどこか距離をおいた気持ちがあったのだが、人間というものは寿命が短い分、志すべき生き方をよく分かっているのだなとこのとき思った。
 それに比べて自分はどうか。力を封じることで、クダリが怪我を負う原因を作り、大義と建前に捕われて、本当に大切にすべきものを見失った結果がこれである。

「…ありがとう、ございます。」

 ノボリは心から両親に感謝した。
 
 心は、決まった。













▽ 7 


 手術室のランプが消え、クダリを乗せたストレッチャーが出てくるとノボリはすぐさま駆け寄った。そこに横たわる青白い顔を覗き込み、クダリの手を握る。
 両親はベンチから立ち上がると医者の方へと顔を向けた。

「クダリは、どうですか?」

 心配そうにそう問う母親の肩を父親がそっと抱く。

「手術は成功です、それほど大規模なものでもありませんでしたので。心配なさらずとも大丈夫ですよ。」

 数日は術後の経過を見る為に入院しなければなりませんが、すぐに退院できますよ、そう言って医者はにこりと笑った。


 その日は親に促されるようにしてノボリも家へと帰ったが、次の日授業が終わるとすぐに学生鞄を引っ提げたままクダリの病室へと転がり込んだ。医者の言っていたように大事にはならなかったようで、ノボリが着いた時すでにクダリは布団の上で身体を起こしていた。

「あ、ノボリ。今母さんたちが帰っ…えふ!!」

 鞄を放り出して飛びついてきたノボリを支えきれずに、クダリがベッドへと沈む。突然のことにしばらくあっけにとられていたものの、クダリはふと我に返っ て、ぎうぎうとしがみつくように抱きしめてくるノボリの背をきゅ、と抱きしめ返した。掛け布団からくぐもった鼻をすする音が聞こえて、しょうがないなぁ、 と笑いながら、クダリはノボリのあたまをぽんぽんとたたく。

「ごめんね。」

「まったくです…どれほど心配したと…。」

 そういって尚もぎうぎうと抱きついてくるノボリにクダリは苦笑する。ふとしたところで甘えたさんなんだから、そういうところ、ちっちゃいときから変わらないね。
 そうしてしばらく定期的に背中を叩いてやっていれば、落ち着いたのかノボリはのそりと体を起こした。

「別にぼく、死にはしないよ?ノボリもそれは知ってるでしょう?それに、ぼくが死んだ方が都合がいいんじゃなかったの?」

「……そうですね…確かにあなたが、私の標的である悪魔だとわかったときには、殺さねばと思いました。」

 視線はクダリの手のあたりをゆるゆるとさまよわせ、シーツをいじりながらノボリはぽつりぽつりと語る。

「しかしあなたがいなくなってしまったときのことを考えると、どうしようもなく胸が苦しくなるのです。確かにあなたは人の体が朽ちたくらいでは本当の意味 で死にはしない。それはわかっています。けれどそれは、クダリとしての、私と過ごしてきたあなたの死を意味します。それを考えたとき、私は耐えられなかっ た。」

「…私は、自分で気づかないうちにずいぶんと貴方に依存していたようです。」

 そう言ってノボリは泣きはらした顔のままふにゃりと笑った。

「私と、仲直りしてくれますか?」

 また一緒に遊んでくれますか?貴方と一緒に、いたいのです。
 そんな意味を込めて呟けば、クダリは一瞬きょとりとしたあとすぐに破顔した。いまだ自分の膝の上に体を預けたままのノボリの頬にそっと両手を添えて、おでこをくっつける。

「こちらこそ。」

 そう言うクダリの表情は幸せそうで。
 
 ノボリは頬に添えられた手に自分の手を重ね、愛おしそうに頬ずりした。













▲ 8


 クダリが退院の日。ノボリはさも当然といった風に学校をさぼった。共働きの両親は仕事の出張で留守だった。両親はもちろん、退院に関して会社を休むと 言っていたが、そこまで子供ではない、家に帰るだけだから何も問題は無いとクダリが二人の申し出をやんわりと断ったのだ。正直言うと、しばらくひっきりな しに自分の病室を看護師やら医師やらが訪ねてきたりしていたから、文字通り一人でゆっくり羽根を伸ばす時間が欲しかったというのが本音だ。嬉しい誤算は、 それにノボリがついて来てくれたことだろうか。
 入院中に使用していた荷物などをすっかりまとめて、二人は家へと帰宅した。久々に兄弟水入らずで過ごせる時間だったということもあって、雑談を交えながら支度をしていたら、家へ帰るころにはとっぷり日が暮れてしまっていた。
 荷物の整理はやっておきますから、とノボリはクダリにゆっくりしているよう促す。クダリはその言葉に素直に甘えることにした。ノボリと共通の自室に入 り、そのまま勢いよく布団へとダイブする。そのまましばらくごろごろしていたかと思うと、ふと思い立って姿鏡の前に立った。上に着ていた服を脱ぎ捨てて、 その背を鏡にさらしてみる。手術後の縫い合わせた跡が目に入ってクダリは無意識のうちに顔をしかめた。いくら人の姿であるとはいえ背中に傷とは情けない。 上級悪魔が聞いて呆れると一人ため息をついた。
 そのままの体勢で、しばらく仕舞い込んだままだった翼を広げてみる。ついでとばかりに尻尾も出してみれば、ライオンのようなそれはしかし、翼と同じに真っ白で、先にはこれまた真っ白な炎が燃えさかっている。機嫌良く振ってみれば、調子は良いようで軽く火の粉が舞った。

「調子はどうですかクダリ。」

 がちゃりとドアノブをひねる音がして、ノボリが部屋へと入ってくる。クダリの姿にノボリが軽く顔をしかめたのを見て、クダリはまた嫌われてしまったかとどきりとしたが、その後のノボリの言葉に彼を一瞬でも疑ってしまったことを後悔した。

「その傷…手術したからと言って消えるわけではないのですね…。」

 そう言う声は悲しそうに震えていた。ノボリは近づいて、翼の間、肩甲骨から腰のあたりにかけて残る傷跡をつと撫でる。そうして優しくクダリの翼に触れた。
 予期せぬ行動に、クダリはびくりとして首だけでノボリの方を振り向く。

「ノボリ…?」

 クダリの問いかけには答えず、ノボリは自らも翼を広げる。そのまま動かないでくださいましとだけ呟いて、もう一度先程と同じようにクダリの傷跡に指を這わせた。つつ、と丁寧になぞれば指をどかした時にはきれいに傷跡は消えていた。

「あ。」

 それを見たクダリは声を上げる。同族以外、特に悪魔への治癒の行使は最大の禁忌の一つ。それをお互い知らないわけがない。
 クダリの視線を受けて、ノボリはさもなんでもないような涼しい顔をして言い放つ。

「そもそもこの傷の原因は私ですから。貴方が気にするようなことは何もありませんよ。」

 知りえる情報というのは治癒の術の場合にも影響力を受けるんですね、いつもより調子がよかったです。などとノボリはさらっと言ってのける。

「…ノボリ、変わったよね」

 クダリはそう言ってにへら、と笑う。お互いの正体を明かす前の自然な家族のような関係には戻れないけれど、それとはまた違った温かさを得られた気がする。

「そうかもしれません。」

 クダリに言われて、その言葉にノボリは素直に肯定した。

「今回のことで気付いたんですよ。」

「?」

「今まで私は神に仕える者として使命を全うしてきましたが、それはあくまで神の意志。私は神の道具にすぎない。そのことに何の疑問も感じることは無かったのですが…」

 ノボリは、今までの不満や見の内にため込んでいたものを吐き出すようにとつとつと言葉を紡ぐ。

「我々は人を救いません。悩み苦しむ人を目にしながらも、手を差し伸べることは許されていないのです。」

「うん、知ってる。」

 間髪いれず頷くクダリに、ノボリは苦笑い。そうして、半ば自重気味に言葉を吐く。

「ばかばかしいでしょう、口では平和を唱えながら傍観するだけなのですから。ならば、我々天使の存在意義とは一体何なのでしょうね。」

「…ノボリ。」

「私は気付いたんです。」

 再度、それは自分に言い含めるようにしてぽつりとつぶやいて、ノボリはそこで言葉を切るとクダリをぎゅうと抱きしめた。

「そんな偽善じみた建前よりも、私には大切にすべきものがあると。」

 クダリはそれを聞いて、ノボリの腕の中でいたずらっ子のような笑みを浮かべる。おそらく、ノボリが言わんとする言葉はクダリが今まで秘めてきた気持ちと同じもの。
 ノボリの背に手を回しながら高ぶる気持ちを抑えきれずに尻尾を振れば、耳元でくすりと笑う声が聞こえた。

「いいの?ぼく、一度手に入れたものは手放さないよ?」

 少々脅すように、いつもは優しげな光をたたえる瞳を紅く妖しく光らせてクダリはノボリへと問う。しかしそんな眼差しにも臆せず、先程浮かべた笑みはそのままにノボリはクダリの額に口づけを落とした。そうしてふと真顔になって、正面からクダリを見据える。

「それはこちらとて同じこと。逃がしませんよ?」

 クダリはそれを聞いて一瞬きょとりとしたあと、我に返って腹を抱えて笑い始めた。

「くっ、ふ…あははははは!まるでそっちが悪魔みたい…!」

 ひとしきり笑った後、ノボリのシャツの襟を掴み、ぐいと引きよせて耳元に口を寄せる。

「…じゃあ、せいぜい逃がさないように、しっかり捕まえててよね。」

「あなたこそ。」

 ノボリは答えて、自身の本当の名をクダリの耳にそっと囁く。魂さえもつなぎとめてくれればよい。出会いは神のいたずら。しかし互いに魅かれた理由は果たして何だったか。

 ノボリは答えると同時に自分の唇でクダリのそれをふさいだ。













▽ 9


 ざわり、と空気が変わった。クダリはそんな空気の流れを敏感に感じ取って、身体を強張らせる。今までに感じたことのない力の流れだ。今まで辺りをやわらかく包んでいたものが霧散していく、そんな感覚だった。
 先程の部屋の雰囲気とはうって変わって、何やら重苦しい空気が流れる。ノボリがそれに反応してぴくりと身を震わせた。そしてまるでそれが合図であったかのように、それを境にノボリの翼が根元から漆黒へとじわじわとその色を変え始めた。

「ノボリ…」

 それを見たクダリは瞬時に意味を理解して、ノボリを抱き締める腕に力を込めた。

「心配ありません。まぁ予想はしていました。わたくしは、兄弟を、しかも悪魔を愛してしまったのですから。」

 当然の結果です、そう言って優しく微笑む。
 元来、天使は神の加護を与えられて生きる者。その神に背く行いをするということは、神に対する裏切りである。そんなことをすれば、その者が庇護される資格を失い地に落とされるのは必然と言えた。それは一般に、堕天と呼ばれるもの。
 半ばうろたえるクダリに対し、ノボリは優しく問いかける。

「永きを生きたあなたでも、墮天を見るのは初めてですか?」

「…あっちにも墮天したやつはそれなりに居たけど、こんな綺麗じゃない。それに、うん。墮天の瞬間は初めてかな。」

 


「ノボリの白い翼、すきだったんだけどなぁ…」

 心底残念そうに、クダリはノボリの翼を撫でる。自分とは比べ物にならないくらいきれいな真っ白だった翼、お似合いだと思っていたのに。そうつぶやいて、尚も変色を続けるその羽根に手をうずめればノボリはくすぐったそうに翼をわななかせた。

「こればっかりは仕様がありません。わたくしはこの色も嫌いじゃないですよ。」

「…そっか、ノボリがいいならいいや。」

 あやすようにして言われた言葉に、意図を分かっていながらもクダリはほぅ、と息をついて安堵する。後悔してるとは思わないけれど、ノボリが悲しむ顔は見 たくない。そうしてふと、自分が己以外の他人を気にかけているという事実に気付いてクダリはおかしくなった。悪魔ともあろうものが、天使相手にほだされて しまうとは。その事実をまじまじと突き付けられて、クダリはそれをこそばゆく思いつつも悪い気はしていない。こらえきれずに、くすくすと声に出して肩を震 わせた。
 突然笑い始めたクダリに対して、ノボリは不思議そうにどうしました?と問いかける。しかしクダリはううん、と首を振るとそのままノボリの首筋に顔をうずめてしまった。
 ノボリからは完全にクダリの顔が見えなくなってしまったがしかし、彼の尻尾が機嫌よさげにゆらゆらと揺れているのを見てノボリはくすりと笑った。
 
 人としての生は悪くは無い。なんだかんだで二人を出会うように仕向けた神とやらにも、自分たちの子供として育ててくれた人間の両親にも感謝している。そ れらがあってこそ、今二人はこうしてここにいるのだから。そしてまた、短い人生の中でめまぐるしく変化を遂げていく人間そのものに感心もする。そうして同 時に、これから先共に共有するであろう人間とは違った自分たちの持つ長い長い時間に対して思いを馳せるのだ。
 漆黒に染まりきった翼と、骨ばった真っ白な翼とをばさりと歓喜に震わせ、二人は揃いの顔に笑みを浮かべて互いを見合わせた。



 さあ、何をして遊ぼうか。

2011/07/09

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