【その先で待っております】
毎週木曜のノボリの朝は、少しだけ遅い。いつもならトレインが動く前から自転車で通勤するのだが、10時発くらいのものに乗れれば十分に間に合う時間だ。
業務が長引いてしまったり、遅番だったりするときには次の日はだいたいそうだった。そういったときに居残る者は、曜日で予め決めてあるため皆ローテーションだ。ちなみにクダリとは曜日が違うため、今日は先に出発していた。今頃はすでにバトルサブウェイの前準備等の業務に勤しんでいるだろう。
バトルサブウェイの運行は11時からだからだ。車掌としての仕事はもちろん許容内だがメインはサブウェイマスター。移動用に使うトレインの運行よりもバトル用がメインの仕事なのだ。よって車掌としての仕事は挑戦者が来ない時間帯に行っている。常にどこかしらのトレインに待機しているトレーナーの鉄道員とは違い、一日のバトル回数は実はそう多くないし、彼らのところへ辿り着く程に連勝を重ねているトレーナーの進み具合は常にチェックしているため、バトルサブウェイに行ったらサブウェイマスターはいませんでした、なんてことにはならないのだ。
たたん、たたん、とトレインは心地よいリズムを刻みながら線路を走る。朝の通勤ラッシュの時間でさえカナワ発のトレインはそう混むことはない。10時頃になればその度合いも顕著で、車内の人はまばらだ。そのなかに紛れて、ノボリも客としてシートの端にゆったりと腰かけていた。片側が寄りかかれるというのはいい。それを理由に、いつも同じ車両の同じ場所に座っていた。その車両は特に人が少ないため、過ごしやすいのだ。
クダリは通常出勤で、その日ばかりは二人の朝は別々。クダリは月曜が遅番なため、週に二日はそんな日がやってくる。しかし一人での出勤時間も、ノボリは嫌いではない。トレインの揺れに身を任せながら、読書をするのが気に入りだった。
クダリと二人揃って読書は好きだが、実は趣向は微妙に違う。ノボリは路線図や時刻表などをながめて、決めた目的地までの列車の乗り継ぎや時間などを計算しながら本の上で旅をするのが好きなのだが、クダリは列車の構造や技術的なものを紐解いた本が好きだった。唯一共通して読んでいるのはバトル関連のものくらいだ。
ノボリはジャケットの内側に定期をしまうと、皮の鞄から時刻表を取りだして、マーカー片手に時刻表のページをめくり始めた。
サブウェイマスターの象徴でもあるコートは着ていない。制服は公共の場では目立つし、何より場所をとるためそう広くない車内では邪魔になる。ワイシャツだけはいつもの格好そのままに、上着は軽くジャケットを羽織っているだけだ。そのせいか、地下では有名人の二人だが地上ではあまり声はかけられたことは無かった。あの制服を纏っていると、否が応にも視線を浴びる。それを不快だと感じたことは無いが、それでもやはり、一日の内での静かな時間というのはほっとする。“サブウェイマスター”という肩書はノボリとクダリを表す言わば代名詞であり、役職だ。二人にとってそれは誇りでもある。けれど少しの間だけそれを外して、ただのノボリでいられる時間も彼は好きだった。おそらくクダリもそうだろう。普通の人だったならばそういうふうに考えることは無いかもしれないが、自分を知らない人間と一つの空間を共にするというのはいたく落ちついた。
そうするとただの興味として、他の人間を観察してみたくもなる。普段からお客様に気を配る。という意味ではよく他人に注意を払ってはいるが、それとは別だ。ノボリはページをめくる手を止めて、くるりとマーカーを回しながら何気なく車両内を見やった。
カナワ発のトレインに乗る乗客は、バトルサブウェイやライモンのトレインの利用客とはまた違う。利用客のすべてがトレーナーとは限らないし、お年寄りや子供も多い。緑の多いカナワの土地は、彼らにとって住みよい土地なのだろう。ノボリとクダリの様に、若くしてカナワに住居を構える者は珍しい。言わずもがな、そこに住もうと思った理由はトレインの車庫が集中していたからである。幼少の頃より二人してカナワに通い、橋の上から車庫に出たり入ったりするトレインを見てきた。いつかこの町に住もう、と二人で指切りをしたのはノボリにとっては未だ記憶に新しい。いつまでたってもその約束はノボリにとって、フレームにしまいこんだ写真の様に色あせることなくきれいなままだ。
カナワからライモンまでいくつかの駅を通り過ぎるとはいえそこは郊外。常日頃から利用客もそう多くはなく、言葉を交わしはしないが互いにそのほとんどが顔見知り、といった所だ。いつも決まった曜日の決まった時間にトレインに乗るノボリにとって、それは当たり前のことかもしれなかった。子供はもう少し遅い時間にやってくるし、お年寄りは早い。この時間には、都心へと働きに出るサラリーマンやトレーナーが多かった。何気なく視線を彷徨わせると、よく見るサラリーマンの一人と目が合って、どちらともなく軽く会釈をした。
たたん、たたん、と心地よい音を奏でながらトレインは走る。
いつの頃からだっただろう。あれは春先だったろうか。その頃から、じゅくがえりの少年を見かけるようになった。これからトレーナーズスクールにでも向かうのだろう。街中でもよく目にするスクールの制服を着ていた。いつもテキスト片手にカナワから二つ先の小さな駅から乗ってきて、ノボリの向かいの席に座った。そしてペンを片手に何やらむつかしい顔をしながらテキストと格闘する。そんなに頭をひねるような内容なのだろうか、いや、その年の頃の子用となると相応の内容なのかもしれない。何を勉強しているのだろう。ふと気になった。ノボリやクダリの通っていたスクールは、鉄道員を養成することを目的とした専門スクールだったため一般的なスクールとは異なっていたのだ。そのせいもあって、その年ごろの子供が一般的に学ぶ内容をノボリは知らない。
とは言えそれからは何がどうなったわけでもなく、ただ毎週木曜日に同じ車両に乗りあわせる乗客というだけだった。普段ならばよく目にする乗客であっても同じ車両、同じ時間に必ず乗りあわせることはなかなか無いため珍しいことだと思った。よほどきっちりと時間を守るタイプなのだろう。ノボリの記憶にもその少年はよく残った。
「トレーナーズスクールってどういったことを勉強してるんでしょうね?」
「んー?ノボリどしたの急に」
二人は執務室にてその日の必要書類を処理しているところだった。ふと動かしていた手を止めて、ノボリの言葉に興味を持ったクダリが首をかしげる。
「いえ、最近通勤中にじゅくがえりの少年をよく見かけるのですが何やら熱心にテキストを読んでいたものですから内容が気になって」
「あーなるほど。ぼくらそういう勉強はしてこなかったもんねー」
うんうん、とクダリは頷く。そしてぱっ、と何かが閃いたようにいたずらっこの笑みを浮かべて顔を上げた。
「覗き見しちゃえば?」
その発想は無かった。と電車に揺られながらノボリは思った。先日のクダリの言葉を受けて待ち伏せすることにしたノボリは、いつも少年が座っている場所をひとつあけて、その隣に腰かけていた。するとしばらくして、いつもの駅から少年が乗ってくる。そうして定位置に腰を下ろすと、ペンを片手にテキストを広げた。
ノボリはしめた、と思い、窓に寄りかかるようにしてそろりと少年の手元を盗み見る。が、その瞬間ぴしりと固まった。目に飛び込んできたその章のタイトルは「努力値」。非常に見覚えのあるレイアウトと共に、その下には穴埋め問題がいくつか並んでいる。一瞬トレーナーズスクールではこんなことまで教えているのかと思ったが、自宅の本棚に並ぶ内の一冊を思い出してその考えを打ち消した。なるほど、授業中でもこの本を愛用しているためにカバーはスクールのテキストにしてあるようだ。自分自身にも非常に身に覚えのあることなのでどことなく少年に親近感を覚え、顔には出さずに内心でくすりと笑ってしまった。そのため、問題の一部で手を止めてしまっていた少年に思わず声をかけてしまったのは不可抗力である。
「そこ、溜められる努力値の最大は、すべての能力を合わせて510までですよ」
ノボリの声にはっとした少年は、目をぱちくりとさせてこちらを見上げてきた。その視線とかちあって、ノボリはつい口を滑らせてしまったことに気付いた。
「ああ、すみません!悩んでおられるようだったのでつい…」
気にしないでください、と付け足した声にしかし、少年は顔に笑みを浮かべた。
「お兄さんはトレーナー?努力値とか厳選ってやってる人ですか?」
ノボリは頷いて、
「ええ、トレーナーです。育成には力を入れてますよ」
と答えれば、少年は目を輝かせてこう言った。
「お話聞かせてください!」
しかしすぐに我に返り、急にすみません、と苦笑いした。そんな少年に、ノボリは自然と笑みがこぼれた。
「いえいえ、先に話かけたのはこちらですしわたくしの話なんかでよろしければ。それは、スクールの教科書ではないですよね?」
わたくしも持ってます。そう言えば少年は気恥ずかしそうに笑った。
「スクールの内容じゃ、ぼくは物足りなくて…バトル、強くなりたいんです」
笑みの中にどこか決意のようなものが見てとれて、ノボリはその理由を問うた。
「なぜ強くなりたいのですか?スクールの内容だけでも、一般的な知識としては充分だと思いますが」
その言葉に少年は、腰につけたボールのホルスターに手を添えつつかぶりを振った。
「一般的じゃだめなんです。ほら、ライモンシティにバトルサブウェイってあるじゃないですか、ぼく、あそこで戦いたいんです!強いトレーナーとたくさん戦って、いつか…いつかこいつと一緒にマルチでサブウェイマスターに挑戦するのが夢なんです!」
「それはそれは」
ノボリは驚きに目を見張ると共に、非常に嬉しくなってしまった。珍しく口角を上げて、片割れがよくやるようにくすりと笑う。
「では、そんな貴方にわたくしから一つアドバイスを。…確かに、厳選や努力値といったものは育成には必要かもしれません。ですがそれ以上に、あなたのパートナーを愛してあげて下さい。絆は時として、能力以上のことを発揮してくれることもありますし、何よりも…貴方の想いに応えてくれますよ」
ノボリの言葉は少年にはどのように聞こえたのだろう、それは、真剣に見つめ返す瞳を見れば明らかだった。ただがむしゃらに強さを求めようとするのではなく、友と在れと諭すノボリの言葉は、少年の胸に大きく響いた。
「ぼく、お兄さんともバトルしてみたいな…」
「では、貴方のそのパートナーと共にバトルサブウェイを勝ち抜いたそのときに、バトル致しましょう。わたくしはその先で待っております」
そう呟く少年に、ノボリは一つ条件を出す。できることなら、知らずに今戦ってしまうよりも、先に彼の夢を見届けたかった。
「わかりました。お兄さん強そうだし、今のぼくたちでは敵わない気がします。だから、ぼくとこいつがサブウェイマスターに勝つまで絶対待っててくださいよ!約束です…!」
「ええ、もちろんです、ぜひ頑張ってくださいまし!わたくしも楽しみに待っております」
そんな会話をしたのが半年前の事。お互い名前は知らぬまま、週に一回、いつもの時間にポケモンの話題を続けながらそれぞれ通勤、通学していた。その中で、マルチトレインに一緒に挑戦してくれる友人もできたという話を聞いてから、密かに楽しみにしていた事がある。
「今日はなんだかノボリ機嫌いいね」
「そうですか?」
「うん、なんだかそわそわしてる」
そういってクダリはくすりと笑った。
二人が今居るのは挑戦者を迎える為の七両目の車両だ。いつもは二人並んでシートに腰かけているのだが、今日はなぜだか二人して既に挑戦者を迎え撃つ態勢で車掌席側の定位置に立っている。
「少し前に、バトルの約束をしましたお客様がいらっしゃるとの情報を得たものですから」
「へぇ!ノボリにそうまで言わせるなんて!あ、もしかして前に話してた男の子?」
「おや、よく覚えてましたね。そうなんですよ、わたくしたちとバトルをするのが夢なのだそうで」
「嬉しいこと言ってくれるね」
「でしょう?」
丁度その時、挑戦者が六両目を勝ち抜いたと業務連絡が入った。
二人はすぐに仕事の顔に戻り、いつもの定位置にてその位住まいを正す。いつでも挑戦者を迎えるときは特別だ。制帽を深くかぶり直し、手は後ろで組む。それだけで、ぴりりとした空気が車両を包んだ。
再びアナウンスと共に扉がスライドすると、入ってきたのはよく見た塾帰りの少年と少女。いつもの口上を述べる為に、ノボリは口を開く。
挑戦者の少年の瞳が、驚きに見開かれるまであと少し。