【黒のクピド】
天気は晴れ。絶好の散歩日和と言われるような天気。今日もライモンシティは観光客を 初めとしてレジャー施設に足を運ぶ人々で賑わっていた。そしてそれは、街の移動手段の中枢を担うギアステーションとて例外ではない。しかしその中に位置し ているバトルサブウェイには、なにやら雲行きが怪しい雰囲気が漂っていた。ときどきあるのだ。マナーの悪い客の引き起こすいざこざなんてものが。
ダブルトレインのホームから聞こえてくる怒号に、通りすぎる人々は一体何事かと視線をそちらへと投げ掛けた。
「だぁから!さっさとBP寄越せば許してやるってんだよ!」
隣に控えているおそらく手持ちであろうヒヒダルマと共に、客らしき男は何やらホームで吠えていた。 それに対し、慣れた様子でクダリは動じもせずににこりと笑って対応する。
「負ければBPはあげられない。それ、ここのルール。また挑戦してぼくと戦って?」
出口はあっち、と手で指し示してやれば、男はその行為が気にくわなかったらしく、クダリの胸元を掴み上げた。 周りに動揺が広がり、ホームにいた人々は息を飲んでそのやり取りを見守った。
「俺に帰れってんのか!こちとらわざわざ来てやってんだ。お前だってどうせバトルとかチートしてんじゃねぇのか!」
そのとたん、掴みあげられていたクダリの双眸がすっと細めらる。 同じ電車に乗り、ホーム脇で待機していたトトメスとラムセスはその様子を見て「あ、やばい」と思ったが止める間もなくそれは一瞬の出来事だった。
クダリは自分を掴んでいる相手の腕を取り、ぎり、と力を込めると、男が怯んで手を離したすきに足を払う。そうして「ぎゃっ!」と相手が倒れたところにそ の長い足で華麗に回し蹴りをお見舞いした。 気持ちのよいくらいに飛んでいき、しまいには駅構内の壁にぶち当たって止まった。 起き上がろうとする男の目前に、白い足が踏み下ろされる。
「ここに来るお客様には皆公平だよ。同じルールのもと、勝ち進んでもっと上に行く人もいれば、きみのように負けてしまって…けれどまた挑んでくる人もいる。」
それに、とクダリは地に伏す男に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「BPは確かに、バトルを有利に進めるための道具と交換できるけれど、それがすべてじゃないよ。大事なのは、もっと別のもの。きみたちには、それに気づいてほしいんだけどな…」
そう言ってクダリはにこりといつもの笑みをこぼした。 あの一連の動作の後にそんな顔をされても、正直心穏やかではいられない。男の頬を冷や汗が伝った。
しかしクダリはそれ以上追及する気はないらしく、以外にあっさりと、何をするでもなくよいしょと立ち上がると周りの人々に向けて声を発する。
「お騒がせして申し訳ありませんでした!ダブルトレイン、運行再開するよ!」
これで終わりとばかりに男に背を向けて仕事を再開しはじめたクダリに対し、彼の理不尽な怒りは爆発した。
「ヒヒダルマ!」
主人の声を受けて、ヒヒダルマは彼の望まんとする行動にでた。クダリめがけて、ヒヒダルマが炎で攻撃をしかけたのだ。
「ボス!危ない…!」
とっさの出来事に待機したままだったトトメスがクダリを庇うように地面へと倒れ込む。二人の脇すれすれを、ひのこが通過していった。次いで小さな爆発音 と焦げ臭い匂い。 地に伏したまま二人がおそるおそる振り返れば、駅に置かれたゴミ箱が火を吹いているのが目に写った。 そして間を置かず構内に降り注ぐスプリンクラーの雨。
「…トトメス」
「…はい」
「あの人に業務執行妨害と器物破損、あと遅延の損害賠償請求しておいて」
「…了解しました」
そう伝えてきたクダリは無表情でした、と後にトトメスは語った。
スプリンクラーによる被害の処理を一段落させてから、クダリはノボリにライブキャスターで連絡を入れた。
「あ、ノボリ?」
「クダリ、仕事中にどうしました?」
「うん、ちょっとお客さんといろいろあって今ダブルトレインのホーム水浸しなんだ」
今までの経験から大体のことを把握して、ノボリはああ、と声を上げた。
「了解しました。では報告書の類いはこちらで作成しておきますので後程記入の方はよろしくお願いしますね」
「ありがと!助かる!」
クダリはそこで一度電話を切ろうとしたが、ふと思い止まって、再びライブキャスターに顔を寄せた。
「あとぼくとトトメスとラムセス、全身ずぶ濡れだから浴場行ってくる!だからしばらく連絡取れない!」
「え、クダリそれはちょっと待っ…
じゃ!と一言残してノボリの言葉を最後まで聞かずにクダリは通話を終了させた。急いで身支度を整えなければトレインを再開することができない。
「トトメス、ラムセス!いこ!」
はやく!と二人を急かしつつ着いたのは、社員用とは言えどなかなか広々とした浴場だ。ギアステーションで働く者たちのお気に入りの場所でもあり、業務の後にはここに立ち寄ってから帰る者も多い。何よりとなりにリネン室があるので制服の交換も楽なのだ。
「今回のお客様はなかなか過激な方だったな…」
「ああいう奴はバトルしに来てるっていうよりどうせ景品目当てなのさ」
トトメスの言葉を受けて、しょうがない、とラムセスは呆れた様子でため息をついた。BPさえもらえればよい、という思考を持つ客は少なくないのだ。相手 をする側としては正直仕事とはいえそういう輩とあたるとバトルもいい気はしない。嫌々バトルしに来たというのがまるわかりだからだ。もやもやとした気持ち のまま新しく持ってきた制服をバスケットに置き、三人は手早く服を脱いでいく。 しかし上半身が露になったところで、トトメスははたとその手を止めた。
「トトメス?どうしかしたのか?」
「あ、あのボス…」
「うん?なに?」
首をきょとりと傾げるクダリにトトメスは遠慮がちに口を開く。
「そ、それ…」
「え?」
トトメスに指摘され、クダリが自分の胸板に視線を下ろすと、そこには赤く咲き誇る所有印。
「~~~―っ」
羞恥から声にならない悲鳴を上げてクダリは思わずその場にしゃがみこんだ。その拍子に、ラムセスが彼の背中を見てつぶやく。
「あ、ボス後にも」
「……!!?っああぁぁもうノボリ何やってるのおぉぉ!」
それを聞いてクダリはずだぁん!と地を打ち、うちひしがれた。確かに今日事件が無ければ衣服を脱ぐ機会はなかっただろうがだからといって痕を残されてい るとはクダリは全く気付かなかった。そういえば、先程のライブキャスターを介してのやりとりでノボリが何事か言いかけていたことを思い出す。大して気にも 留めていなかったがもしやこのことだったのかとふと思い至った。もっとちゃんとノボリの話を聞いておけばよかった。
「お相手、黒のボスだったんですね」
その言葉にクダリはびくりと身体を震わせる。もともと色白の肌から血の気が引いた。思わず叫んでしまったが、兄弟でそういった関係を築いているなんて知 れてしまってはもうここで働けないかも知れない。皆に避けられるかも。 しかしクダリがぐるぐるとそんなことを考えているその横で、トトメスとラムセスはいやぁよかったなどといいながら笑いあっていた。
「いやー、もしボスたちのどちらかに彼女なんかできたらどうしようなんて話をよくしてたのさ」
「ボスたちの仲の良さはぼくらの間で有名だったからな」
「え?」
それを聞いてクダリは鼻をすすりつつ顔を上げて二人を振り返る。
「え?ボスあれで気づかれていないつもりだったんですか?」
「鉄道員の間でボスたちの関係知らない奴なんていないさ」
追い討ちをかけるように放たれた言葉にどう反応したらいいのかわからず、クダリはがくりと肩を落とした。すでに知られていた上で変わらぬ反応を示していた彼らに対して果たして喜んでいいのかどうか。
(それにしても…)
「黒のボスはずいぶんとロマンチックなんですね」
クダリの胸と背に一つづつ散らされた印。まるで矢に射抜かれたあとのようなそれは、彼の心を射止めたのは自分だと、主張しているようで。
(まるで首輪だな)
それは独占欲からくる、束縛の証。