【夏便り】
ここイッシュにも夏がやって来た。
気候的にはそれほど湿気の無いカラリとした空気だが、太陽光が刺すように肌を焼く。アスファルトの上には陽炎が揺らめいて、時折視界を歪ませていた。
そんな日照りの中人々が考えることは皆同じ。ヒウンタウンのワゴンには長蛇の列ができ、館内に涼しい冷房の効いたシッポウシティの博物館も、この季節になるととたんに客入りがよくなる。
そしてまた、バトル施設としてイッシュでは定番とされているバトルサブウェイも、夏の避難場所としては最適なところだった。地下に位置しているということ もあって、軽く空調を動かしているだけにも関わらずその空気は程よく冷えており、外から 足を踏み入れる者にとってはまさに天国だ。今日も今日とて、ギアス テーションに足を運ぶ人は少なくない。
しかしながら、今日は少々いつもとは勝手が違った。
いつもならばバトルをしにきた客で賑わう各ステーションだが、その一角。マルチトレインへと続く駅の階段の入り口には立ち入り禁止のロープが張られ、人の 出入りを拒んでいた。そのため、マルチが目当てでやって来た客は残念そうに肩を落とし、入り口付近に待機する鉄道員へと詳細を尋ねる。どうしたのか、と問 えば、マルチの車両の不具合で車両点検中なのだと言う。ならば仕方がないと、また時間を改めることにして客は他のトレインへと移動していった。
しかし実は、こんな話もギアステーション内でまことしやかに噂されている。今日は未だサブウェイマスターに会うことのできた挑戦者はいないのだと。
「ノボリー、1番と32番のボルト、あと油取って。」
車体の下から上着の無い素肌の腕だけを覗かせて、ちょいちょいとクダリは手招く。それに対して返事を寄越しながら、ノボリは手際よく頼まれた部品を手渡した。
2人がいるのは、スーパーマルチトレインの停車するステーション内だ。そこに停車しているトレインを修理すべく、線路に降りて作業をしているのである。
なぜ2人が自ら修理にあたっているのか、事の発端は数時間前まで遡る。
始めに異変に気づいたのはノボリだった。
いつもの様に、2人は挑戦者を迎え撃つべくマルチトレイン7両目の座席に座り、相応の期待と緊張感を以てこれから行われるであろうバトルに思いを馳せてい た。がたんごとん、と心地よい車両の揺れに身を任せ、会話をするでもなくバトル前のほどよい空気を味わっていた。しかしその合間、テンポよく流れる車体の リズムの中に、聞きなれない雑音が混じっているのをノボリの耳が捉えた。時折軋むように重たげな音を上げる車体。それは普通ならば気づかない程度の、ほん の些細な異変。
途中で客が敗退したため、なるべく急いで電車を駅へと走らせる。駅に着くのを待ってから客を見送ると、2人は線路へと降り立った。走行中に連絡しておいた整備士と合流し、車体を見てもらう。
ノボリの感じた違和感の通り、車体はボルトが少々緩んでいたようだった。事故が起きる前に気づいてよかったと、2人は胸を撫で下ろした。
しかしそこで問題ができた。当然、ボルトの緩んだ車両をそのまま走らせる訳にはいかない。が、換えるべき予備の車体はカナワの車庫にあり、走らせるために はそちらも点検を行わなければならないばかりか、いざ換えるとなったら一度運転車両もそちらへ移動しなければならない。そうなれば、大幅な時間のロスは必 須。大変混雑する今この時期のギアステーションにおいて、それはできる限り避けたかった。とすれば答えは一つ。
「この車両はわたくしたちが修理に当たります。」
迷うこともなく、答えはすぐに出た。今この場で修理を終えてしまえば、予備の車両を点検する時間も移動の時間も気にする必要はない。
ノボリの言葉に続いて、クダリはてきぱきと整備士に指示を飛ばした。
「ここはぼくたちがやるから、君たちはカナワの方の点検を済ませておいて。先にマルチを走らせることになるとは思うけど、その間にWi-Fiトレインの方の運転車両使ってこっちの車庫に一応移動しておいて。」
言いながら2人は早くも手袋を外してポケットにつっこみつつ、帽子とコートを脱いでしまう。ネクタイも緩めてしまって、邪魔にならないよう先を胸ポケットへとしまった。
サブウェイマスターの証たる着衣を脱いでしまうと見た目的には駅構内で働く社員たちとさほど変わりがなく、いつにもまして二人が身近な存在の様に感じられた。
しばらくそんな彼らを見ていた整備士たちだが、ふとあることに気づいてその内の一人が声を上げる。
「あの、ボス…。先程の指示の内容は把握したのですが、ボスたちが、その…修理を行うというのは…?」
その言葉に、内心他の整備士たちも頷く。いくらサブウェイマスターと言えどもその肩書きは車掌だ。例えバトルの腕前は最上級でもその彼らが修理を行うということに関して、それは整備士たちからすれば不安と戸惑い以外の何物でもなかった。
そんな彼らの言葉の意味を理解しかねて首をこてんと傾げたクダリをよそに、ノボリが何やら会得した様子でぽんと手を打った。
「ああ、我々が修理などできるのかと仰りたいのですね。」
ノボリはクダリのコートと帽子を預かると、自分のもホーム脇に設置されたベンチの上に置く。その帰り際に、整備士たちの持ってきた工具の内から1セット拝借してクダリのもとに戻った。
「そのことならば心配には及びません。実はわたくしたちは、スクール時代には技術の方も勉強していたので整備の腕にも長けております。」
「ほら、これ!」
そう言ってクダリが懐から社員証と共に取り出したのは、ギアステーションで整備士として働くことを許された者の証である免許証だ。
「バトルも好きなんだけど、スクールに通うことになったきっかけは電車だったからねー。技術には自信あるよ!大丈夫!」
「わたくしたちは部品と機材さえあれば1から組み立てることもできるくらいの腕はあります。」
なので問題はありません。そう言いきったノボリに整備士たちはぽかぁんとして、身近だなんてとんでもない、この人たちはやっぱりどこかクレイジーだと認識を改めた。
「わかりました。では、ここはボスたちにおまかせして我々はカナワに向かいます。」
そうして、話は冒頭に戻る。
「どうですか、クダリ。」
「うん。もうあとここ締めたらおしまいかな。」
作業の手は止めずに返事をし、程なくしてクダリは工具を手に出てきた。必死に作業をしていたせいか、シャツは汗でじとりと濡れている。熱そうに襟をぱたぱ たと揺らしていたが、あまり効果はなさそうだ。ノボリもそんなクダリにつられるように、左手で自信の顔を扇ぐ。マルチ封鎖の手配をするために、連絡やら指 示やらと駆け回っていたからこちらも汗だくだ。
さすがにこうも動き回っていれば、地下の涼しさも大して効果はなさないようである。
クダリは一息ついてからぽそりと口を開いた。
「もう車体には問題はないけど、もしかしたら寿命も近いかもね。」
所々痛んできてる気がする。そう言いながら服を叩いて汚れを払った。
「そうですか…では明日には、点検を終えて持ってきてもらう車両にまるっきり交換してしまいましょう。思えば、大分この車両にはお世話になってましたね。」
「ね!あっという間!」
口に出してしまえば、なんとなく寂しくなった。二人はしゅんとして、ホームのベンチに腰を下ろす。早くマルチを再開させねばとは思うものの、疲れてしまっていた。少しくらい休んだところでばちは当たらないだろう。
そうして休憩も兼ねてしばらく感傷に浸っていたが、暫くするとどちらともなく、あつ…と声を洩らした。ベンチの上でじっとしていると、それはそれで熱がこもる。
と、ノボリがふいにきょろりと辺りを見回した。
「?ノボリ、どうかした?」
「いえ、今鈴の音のようなものが聞こえた気がして…」
りん
「え。ぼく聞こえない。」
りーん…
「ほら。」
「あ、ほんとだ。ノボリって相変わらず耳いいよね。」
「クダリの観察眼的な目の良さには負けますけどね。とはいえこれは何の音でしょう…」
その音はどうやら電車の進行方向、トンネルの先から聞こえてくるようで、二人は自然と耳を澄ませた。だんだんと大きくなる音に興味津々といった様子でじっと見つめていたのだが、しばらくして二人同時にあっ、と驚いた声を上げる。
今まで響いていた音の正体は、チリーンのものだった。ゆらゆらと身を踊らせながらこちらへと近づいてくる。
「迷子?」
ぽそりと呟いたクダリに、ノボリが首を振る。
「いえ、ここへの入り口は封鎖していますし、どなたかの手持ちというわけではないでしょう。大方、豊穣の社の方からやってきてトンネルに入り込んでしまったのではないですか?」
なるほど、とクダリは頷く。確かに、マルチトレインはそちらの方角に線路が延びている。
「散歩中に迷い込んじゃった感じかな?」
「かもしれませんね。」
そうしたやりとりをしている間に、チリーンは電車の側までやってきた。そうして物珍しそうに行ったり来たりと辺りをうろつく。ちょっとした方向転換や身体を揺らす度に、ちりん、りん、とステーション内に心地よい音が響いた。
そんなチリーンの様子を見て、何かを思い出したようにクダリがそういえばね、と声を上げる。
「クラウドから聞いたんだけど、ジョウトには風鈴て言ってチリーンに似た道具があるんだって。」
「ほう…それはおもしろいですね。」
「でしょ?それでね、夏になると皆、その道具を風がよく通る場所に吊るすの。」
そこで察しのいいノボリはぽんと手を打つ。
「なるほど。そうしてよく音が鳴るようにするのですね。」
「あったり!」
クダリはその答えにはにかむ。
「じゃあなんでそういうことするんでしょうか!」
ノボリはむむむ、と腕を組んで唸った。
「うーん、夏の訪れを知らせる…とかですか?」
ジョウトだったら、そんな風習もありそうだと答える。しかしクダリは、口を尖らせるとざんねーんと言ってそれを否定した。
「正解はね、涼むため。でした!」
「は…?」
「だーかーら!涼しくなるため!」
ノボリはクダリから聞かされる答えにひたすら首を捻る。
「どうして音を聞くことが涼しくなることに繋がるんですか?」
「ぼくも最初にクラウドから聞かされたときには同じこと思った。でもさ、そんな気してこない?」
二人して、しばらくチリーンが奏でる音に耳を済ます。人気のなく、しん、としたホームにちりん、りん、と音が響く。
「…確かに、そうかもしれません。ジョウトの文化はまた独特でおもしろいですね。」
「ね!それでさ、今度の社員旅行には皆でジョウトに行こうよ!」
「…クダリあなた、ほんとはそれが言いたかったんじゃないですか?」
「そうとも言う!」
そう言ってえへへ、と笑う。ノボリはいつだってその笑顔に弱い。
「それについては検討しましょう。皆さんにも予定を聞かねばなりませんね!」
「やった!」
クダリの反応を見て、ノボリも嬉しそうに笑む。そうして、一つ伸びをするとベンチから立ち上がった。
「さて。休憩もここまでに致しましょう!マルチを待ちわびているお客様もいるでしょうし、運転再開です!」
「うん!ついでにあの子も連れ出してあげよ!」
二人がチリーンを引き連れてやってきたのは、これから42戦より後のバトルを行うための、謂わばスーパーマルチの挑戦者にとって、最終電車の出発駅。時間よりも早めにやってきて、二人はホーム奥の階段から線路へと降り立った。
「ほら、こっち!」
そう案内するクダリの後についていけば、程なくしてトンネルを抜け、外へ出た。少し遠くに、ワンダーブリッジが見える。二人は外の光に慣れず、まぶしさに思わず目を細めた。
「あっつ…」
「外はこんなに暑かったのですね…」
ギアステーションに来ると、まるで天にも昇るような表情を浮かべる来場者の気持ちがわかった気がした。これだけの日差し。やはり夏は地下にこもるに限る。二人揃って暑さは苦手故、サブウェイマスターをやっていてよかったと、しみじみと思った。
「ほら、チリーン。ここまでくれば帰れるんじゃない?」
後ろを振り返り、チリーンを振り仰げば嬉しそうにちりりん、と身体を揺らした。
「もう、もぐりこまないように気をつけてくださいまし。今回は平気だったようですが、タイミングが悪ければ電車との衝突だってあり得るのです。」
危ないですよ、と注意すれば、わかったというふうにチリーンはしっかりと頷いた。それに対して二人は微笑む。そうして、大きく手を振り仰いだ。
「きみのおかげで涼しかったよ!また、機会があったらあそぼ!」
「迷わずに社まで帰るのですよ!では、お気をつけて!」
二人に答えるように、チリーンは一度空中でくるりと一回転すると、ちりん、と音を響かせて、風に煽られるように空へと舞い上がる。続けて心地の良い音色を響かせながら風に流されて、チリーンは夏の空高くゆらゆらと飛んで行った。
夏の訪れを知らせるのは、涼を運ぶ澄んだ音色。
空に響き渡るその音に、つられるようにしてノボリとクダリは空を見上げる。ぽっかりと空に浮かんだ入道雲を背景に、太陽の光を反射してたゆたう影ひとつ。見えなくなるまで見送って、二人は地下へと踵を返した。
暑い夏に涼をお届け。
風に乗せて、あなたの耳に送る暑中見舞い。
あなたは今、元気でしょうか。
どうぞ今年もよい夏を。