【そばにいて】:ノボリ篇
暑い。
ノボリはその日、めずらしく暑さで目が覚めた。隣を見れば、クダリは未だ夢の中のようで、気持ちよさそうに眠っている。
とりあえず今何時だろうかと壁に掛けてある時計を確認した。午前4時。まだ若干時間に余裕はあるが早めに支度をしておこうか。
ノボリは欠伸を噛み殺しつつも洗面所へと向かった。
今日はなぜか調子がよくない。身体は重く、いつもやっている動作のはずなのに、思うように体が動かない。身支度をする間に二回は歯ブラシを取り落とし、ボタンもかけ違えた。
そうやってもたもたと用意をしている間にクダリも目を覚ましたようで、大きな欠伸をしながら洗面所へとやってきた。
「おはようございますクダリ。」
「ノボリおはよー。」
未だ眠たそうに目を擦っていたクダリはノボリの方を見ると、はたとその手を止めた。足早に迫ったかと思うとがしりとノボリの顔を掴む。
「…??クダリ?」
状況を理解できずおろおろするノボリをよそに、彼の顔を覗き込んでいたクダリはぽそりと言った。
「…ノボリ。熱ある。」
ノボリはその言葉に驚いてかぶりをふった。
「そんなまさか、わたくしは元気ですよ。」
そう反論するノボリをクダリは無視。
「ちょっと動かないでね。熱計る。」
そう言って自分のおでこをノボリのおでこにくっつける。お互いに熱を疑うときにはよくする行為だ。そのためノボリは、クダリが熱を計っている間おとなしくじっとしていた。
しばらくそうしていたあと、ぱっと顔を離したクダリの顔はめずらしくしかめっ面だった。
「38度ある…。」
「…そうですか。」
さて。と何事もなかったかのようにネクタイを締めにかかったノボリを半ば掴みかかるようにしていやいやいやとクダリの手が止めた。
「ちょっと!熱あるって言ってるのに!なんで支度するわけ!?寝てなきゃダメでしょ!?」
「しかし今日の業務が…」
「だめだめ!ノボリの分までぼくがやるから寝てなきゃダメ!」
「じゃあトレインは通常通り運行…」
「もっとダメだよ!バトルなんかしたら消耗するでしょ!」
「お客様に迷惑が…」
「バトルの最中にノボリが倒れちゃう方がお客様よっぽど困る!」
ノボリが何かしら言う度に行かせまいと反論するクダリ。そうしたやりとりを延々と繰り返し、ついにノボリが折れた。
「…わかりました。では今日は、クダリに甘えておとなしくしていることにします…。」
「わかればよし!」
クダリはそう言って満足そうににっこりと笑う。
「ではクダリ、くれぐれも気をつけていってらっしゃいまし。」
しぶしぶとクダリに促されるままに布団へと潜り込みながら、ノボリは声をかけた。
そう言いつつも熱を認識したせいか疲れがどっと押し寄せて、早くもまぶたが落ちかける。
「うん、行ってきます!ノボリはしっかり寝ててよね!」
遠退く意識の中で、そう言って手を振りながらいつもの革の鞄を手にして、黒のコートを羽織るクダリを見た。
ああ、クダリ、それはわたくしのコートではないですか?
声にならなかったその言葉は、ぱたんとドアが閉まる音と共に意識の中に消えた。
次に目を覚ますと、日はかなり高いところにあり、部屋に射し込む日差しが眩しいくらいだった。
「…けほっ」
喉が痛い。寝てる間に悪化でもしたのだろうか。
何か飲み物でも取りに台所へ行こうと身体を起こしたところで、自分がいつもの仕事着を着たままだったのに気がついた。
そういえばと、着替え直す暇もなくクダリに布団へと押し込められたことを思い出す。そんなことを考えながら冷蔵庫から水を取り出すと、コップに軽く注いで喉へと流し込んだ。熱を持っていた喉がひやりと冷えて心地よかった。
それから再び布団へと舞い戻ると緩慢な動作でもそもそと横になった。そうしてほう、と息をつく。
そういえばクダリはどうしているでしょうか、と鈍い思考で思案を廻らせる。急にいつものベッドが広く感じて毛布を掻き抱いた。寝るときはいつも一緒なため、一人で横になっていることが落ち着かない。
「けほっけほっ」
すごく人恋しかった。熱が出ると弱くなってしまうからいけない。そうはわかっていても気持ちは募るばかり。
クダリに会いたい。
「クダ…」
しかして呟こうとしたその名は最後まで言うことができず。ノボリは激しく咳き込んだ。
横になってることができずにうつ伏せに身体を折った。咳が止まらない。酸素を求めて息をしようとするも咳に阻まれてうまく呼吸ができない。苦しくて瞳には自然と涙が滲んだ。
しばらくして、ようやく咳が収まると、ノボリは酸素を求めて肩で呼吸を繰り返した。
少し落ち着いたところでまた横向きの体勢へと直り、その身をベッドに沈める。早く風邪を治すためにも寝なければと思いつつ、長い間寝ていたために熱に浮かされながらも目は覚めてしまっていた。
そんな頭でも、思い浮かぶのはクダリのことばかり。
(会いに行ってしまいましょうか。)
一度思いついてしまうと、その考えは頭から離れてはくれなかった。さりげなくクダリのもとを訪れるのにはどうすればいいだろうかと思案する。
理由は…そうですね、どうしてもやらなければならない業務があったから。でいきましょうか。
いつものノボリであれば逆に思いつかなそうな非常に安易な設定だが、それでいこうとひとつ頷くと、ノボリは布団からその身を起こす。寝ていたせいで衣服はくしゃくしゃだった。適度に直し、ネクタイを締める。さてコートを羽織ろうとしたところで、クローゼットに自分のコートと帽子が見当たらないことに首をかしげる。クリーニングなどに出した覚えはない。比較的新しかったからだ。替えのコートを取りにリネン室に寄って行こうかとも一瞬思ったが、ギアステーションに行くことを考えると若干遠回りになるためその考えを振り払う。
どうせ今はそんなに寒いとも思わない。それは熱のせいなのだがノボリはそこまで考えがいたらずにいた。実際ギアステーションまで行っても仕事をするつもりもないためこのままでいいだろうとわりきってしまう。自分は風邪であるから今日は休みだとクダリが伝えてくれているはずだ。
ひとつ頷くと、ノボリは浮ついた頭のまま部屋をあとにした。
(さて。)
ギアステーションへ着いたはいいがどうしたものかとノボリは辺りを見回した。そこかしこにバトルを控えるトレーナーや、忙しそうに動き回る鉄道員たちがいた。
ダブルトレインのサブウェイマスターの事務室に行くのが一番手っ取り早そうだとそちらの方向に足を向けた途端、後ろから誰かに呼び止められた。
「ちょっとサボりはあかんで!今日はマルチが運休やからその対応で忙しいって言うたやろ!はよ、シングルにいるボスのところにこの報告書届けに行ってくれや。」
上着が無かったために普通の鉄道員がサボっているように見えたのだろう、声のした方を振り返ればこちらを見ていたクラウドがぎょっとして瞳を瞬かせた。
「ボ、ボス!こないなところにいらしたんか!今日は黒のボスしか見えんから休みかと思ったで。」
(黒?)
クラウドのその言葉にノボリは内心首をかしげた。今日自分はコートを着ていない。と、その意味を考えるうちに今朝クダリが自分のコートを着て部屋を出ていったことを思い出す。ということは、クダリは今ノボリとして動いているわけか。
そう認識した途端、急に色々と不安になった。まさか、あのままシングルトレインに乗車したのではあるまいな。
「ボス?」
返事のないノボリに対してクラウドが心配そうにこちらを見ていた。
それに対して慌てて返事をしようとして、今ノボリがノボリとして応じるのはまずいように思われた。クダリには早く会いたいが、今のクダリの動向が把握できない以上、余計なごたごたを起こしてトレインの運行に支障を来したくはない。そう思うと自然と体が動いた。
「あ、ごめん!平気平気!ノボリは今シングルの方?」
にっこりと笑って言ったその答えに、クラウドはほっとしたような表情を浮かべた。
「ええ、そのはずや。…今日はダブルの客が来てもシングルの方に連絡するように指示をもろたんやけど、何ぞあったんやろか。」
「あー…、ちょっと今日はあっちでぼくがやらなくちゃいけない用事があって。」
ノボリはクダリを真似て、えへへ、とクダリ特有の表情はそのままに若干困ったように頭をかきながら言う。
「だから何かあったら今日はノボリの指示に従って!」
そういうノボリの言葉に、目の前にいるのがクダリであると疑いもせずにクラウドは頷く。
「わかりました。」
じゃあ、わしは業務に戻りますわ、と敬礼してクラウドは去って行った。
ノボリは内心すみません、と謝りつつもほっと胸をなでおろす。
「けほっけほっ」
さて。ではではクダリのところへ行きましょうか。一体シングルで何をやっているのやら。悪い予感しかしませんが。
ノボリはシングルトレインへと向かってステーション内を急ぎ歩いた。
サブウェイマスター専用の、いつもの自分の事務室へと足を踏み入れる。挑戦者が来たときなどはここに放送がかかるのだ。そのためノボリの振りをしているクダリはここにいると思っていたのだが、いないということは…
(挑戦者と対峙中…ですか)
ノボリは踵を返して管理室へと急いだ。
管理室の扉を開けて中に入ると、シングルトレイン車内カメラの映像を映し出す壁一面の液晶が目に入る。その前に座る鉄道員は扉の音にこちらを振り返るとノボリを見て首をかしげた。
「あれ?ボス、こちらに何か御用ですか?黒のボスは今戦闘中で…」
鉄道員の言葉には耳を傾けることなく、ノボリはざっと壁の液晶に目を通す。すぐに目的の画面は見つかった。黒いコートが挑戦者のポケモンが繰り出す技によってはためいていた。
と、急に技が止み、ポケモンたちもその動きを止める。挑戦者がお構いなしに黒いコートの方へと迫った。その見覚えある姿にノボリはあ、と声を上げる。トウコだった。
あの様子ではおそらくクダリがノボリになりすましていたことがばれたのだろう。
ノボリは不思議そうにこちらを見やる鉄道員の脇にあるアナウンス用のスイッチに手を伸ばす。鉄道員が止める間もなく、ノボリは声をはりあげた。
『一体なにをやっているんですかあなたはあぁぁ!!』
そう叫んだノボリを見て鉄道員はぎょっとしたようだった。液晶の画面と隣にいる人物とを交互に見やる。
ノボリはと言うと、画面越しとは言えクダリの姿を見たせいだろう、ついつい本音が口を衝いて出た。
『姿が見当たらないと探してみればこんな…とこ…ろ…に』
そこまで言って激しくせき込む。思い切り叫んだのがいけなかった。ややあって、内戦を通じて怒気を含んだクダリの声が聞こえた。
『ちょっとノボリ!ちゃんと寝ててって言ったでしょ!』
『げほっ…そんな寝てられませんよ!今日だって業務もたまって…』
クダリの言葉に、まるで言い訳のように説得力のかけらもない言葉を返す。しかしそれはあとに続くクダリの言葉に一蹴された。
『あーっ!もう!埒が明かない!朝も散々その話した!ノボリはそこにいて!動かないでよ!動いたら絶交!』
絶交、と聞いてノボリは一瞬びくりと身体を震わせる。次いでがちゃん!と内戦の受話器がたたきつけられる音に反射的に肩をすくめた。
しかしこれでクダリに会える。そう思うと急に力が抜けて、ノボリは管理室わきに置いてある事務用の椅子に腰をおろし、そのまま机に突っ伏した。
鉄道員がおろおろとする気配が伝わってきていたが、申し訳ないと思いつつも気付かないふりをした。
「ノボリ!!」
そう間も置かずにクダリの声がした。そのままこちらへと近づいてくる気配。黒いコートが視界をかすめ、そうかと思うと自分には白いコートが着せられた。クダリの匂いがする。そのまますん、と息を吸い込んだ。
と、おでこにひやりとした感触。うっすらと目を開けると、そこにクダリの顔があった。
「もう!なんで起きてきちゃったの?ノボリ、また熱上がってる。」
クダリに会えたことによる安心感からか、応える気力もなくノボリは黙っていたがそんなことにはおかまいなしに、クダリはよいしょとノボリを背負った。
クダリが鉄道員に飛ばす指示をどこか遠くで聞きながら、ノボリはクダリの首筋に顔をうずめた。
かつかつ、と人気の無い廊下を歩く。さすがにまだ日も落ちきらないこの時間に社員寮へと戻る者はいない。しばらく二人とも無言だった。
クダリに会えたことは嬉しい。ノボリは彼の背にゆられながらその気持ちをかみしめてはいたが、やはりどこかで申し訳なく思っていた。ノボリになりすましてシングルトレインに乗っていたことだって、運休はしたくないと朝だだをこねた自分のためだろう。その気持ちをそのまま言葉に乗せて、ノボリはつと口を開いた。
「すみません…結局…あなたに迷惑を…。」
「……ほんとう!そうだよね!」
「………。」
ノボリの言葉を聞いて、いらだちを隠しもせずにクダリは答える。その答えに返す言葉を持っていなかったノボリは押し黙った。
「ノボリががんばりやなのは知ってるけどさ、もうちょっとぼくを頼ってよ。ぼくは、ノボリの分まで背負ったって全然!なんともないんだから!ノボリが側にいないことのほうがよっぽど辛くて。苦しい。」
「クダ…」
「ノボリ、ぼくってそんなに頼りない?」
そう問うクダリに、ノボリはぶんぶんと首を振る。
「!いえ!そんなことは…!」
「じゃ、決まり!次から疲れてるときとかちゃんと言って。これ約束。」
クダリはちらりと肩越しに振り返っていつもの笑顔で笑った。今まで、その笑顔にどれほど助けられてきたことだろう、ノボリはつられるように珍しく口角を上げて片割れの耳元でぽそりと、わかりましたと呟いた。
その返事を聞いてクダリは満足そうに笑みを深くする。
「じゃあまずはしっかり風邪治してよね!ぼくは仕事も、ポケモンも、ノボリと一緒がいい。」
「わたくしも…です。」
そう言って、二人は互いに顔を見合わせてはにかんだ。
「よいしょっと!着いた!」
そんなクダリの声とともに、ゆっくりとベッドの上に下ろされる。コートだけ脱がされて、そのまま布団に押し込められた。
未だ治まらない咳をこぼしながら顔をしかめれば、手袋を外したクダリの手がこぼれた前髪をかきあげておでこに触れた。そのひやりとした丁度良い手の温度が心地よくてノボリは自然と目を閉じる。
しばらくその感触を楽しんでいると、ふいにその手が離れた。
「そうだノボリ、熱あるときは水分とらなきゃダメだよ。ちょっと水分とってくる!」
そう言って台所へと向かおうとするクダリのコートの裾をノボリは反射的につかむ。
クダリは一瞬きょとりとしたあと、もといた体勢に戻った。
「どしたの?」
「……で…まし。」
「え?」
「…行かないで、くださいまし。」
熱のせいもあってか、瞳にうっすらと涙をたたえてノボリは懇願した。いやだいやだ。クダリには側にいてほしい。わたくしを置いていかないでくださいまし。
「……でも、水分はとったほうがいいよ?」
クダリの返答はノボリの身体を気づかってのことである。事実、熱のせいで脱水症状でも起こせばそれこそ危ない。
しかしノボリはいやいやと首を振った。
「水は、いいんです。…クダリ、ここにいてください。行かないでくださいまし。」
ノボリの言葉にクダリはわかった、といつもの笑みを浮かべた。布団の中に手を入れて、ノボリの手をしっかりと握る。ノボリは熱を持った手で力なく握り返した。
「どこにも行かないよ、ノボリの側にいる。」
そう答えたクダリの言葉に、ノボリは嬉しさと愛しさで胸がいっぱいになった。高揚感で顔が熱くなるのが自分でも分かる。
再びゆるゆると瞳を閉じながら、クダリがそこにいるということに安堵した。
――この頬が熱いのは、風邪のせいということにしておいてくださいまし。