【そばにいて】:クダリ篇
鏡を見ながら、出勤のために身だしなみを整える。
ネクタイを締め、手袋もきちんとはめる。ボタンを留めるのも忘れずに。見なれたコートにそでを通し、感触を確認する。最後に帽子をかぶりグイ、と押し下げた。
(これでよし。)
再度鏡を確認して、彼はコートを翻しつつ部屋をあとにする。
「さて、――いきましょうか。」
バトルサブウェイのシングルトレインは、今日も通常通り運行中である。今日も幾多の挑戦者たちが、サブウェイマスターに挑むべく電車へと乗り込む。ポケモントレーナーであるトウコもまた、そんな挑戦者たちの内の一人であった。
『勝者!挑戦者トウコ!』
車内に挑戦者の勝利を知らせるアナウンスが鳴り響いた。
『ただいま20連勝!次は7両目となります。勝負を続けますか?』
そう問うてくるアナウンスに対し、トウコは臆することなくもちろん!と答えた。次は21戦目。ということはその対戦相手は…
「これはこれは、―― お久しぶりです、トウコ様。」
「ノボリさん!」
久しぶり、と言われたことに若干の疑問を抱きつつもトウコは黒を纏うサブウェイマスターにこんにちは、と挨拶を返す。そしてすぐさま強気な視線を投げかけた。
「今日こそは負けませんよ!」
モンスターボールを手にそうはっきりと宣言するトウコに対し、ノボリもいつもの表情はそのままに、楽しげに答えた。
「楽しみにしています。では、出発進行!!」
バトルが始まった。トウコはウォーグル、ノボリはギギギアルを繰り出し、お互い一歩も譲らない戦いを繰り広げている。しかしトウコはバトルの中で、ちょっとした違和感を感じていた。
今まで幾度も挑戦してきたシングルトレイン。もちろんその中でノボリと手合わせをしたことだって何度かある。そのため相手の出方やスタイルなどは多少なりとも理解しているつもりでいた。しかし今回はなぜかペースをつかみきれないでいた。
どこか違和感…
戦いながらそんなことを感じた。いつものノボリさんとどこか違う。
つと視線を上げたその先にニヤリと口角をあげた楽しそうな顔が一瞬目に映った。その顔が彼の片割れと重なった。
その瞬間、疑心は確信へと変わった。
「あ。」
自然と声が出た。
「あーーーーっ!」
車内にけたたましく響いたその声にポケモンたちは驚いて戦いを中断し、トウコを振り返った。ノボリはそれほどびっくりしたのか、背中を次の車両へと続くドアへとピタリと張り付け何事かと視線を彼女へと送る。
「ど、どうされました…?」
動揺しつつもそう問うてくるノボリに向かってトウコはつかつかと歩み寄る。ポケモンたちは自然と道を譲った。怖い。トウコのオーラが。
トウコはノボリの目前で足を止め、人差し指を彼の胸へと突きつけた。
「クダリさんでしょ。」
「な、何を…」
「口、笑ってましたよ?」
それを聞いて一瞬きょとりとしたあと、彼は諦めたようにいつもの笑みを浮かべた。
「あーあ、バレちゃった。」
そして残念そうにつぶやく。
「挑戦者がトウコじゃなかったら自信あったんだけどな。」
「もう、わかりますよ!昨日会ったばかりなのに久しぶりって言うところからして違和感ありましたし!」
それを聞いてクダリは機嫌を損ねたようだった。非常に不満そうにくってかかる。
「えー!トウコ昨日もシングル来たの!なんでダブルには来ないの!ずるい!ぼくのとこ最近人来なくて暇なのに!」
何がずるいのかよくわからないがクダリはじたじたと抗議した。
「だってクダリさんのところは普通のトレーナーが強くて挑戦してもクダリさんのとこまで行けな…
じゃなくて!」
完全にクダリのペースに乗せられていたトウコは我に返ってがしっとクダリの胸ぐらを掴む。
「ノボリさんはどこですか!?クダリさん遊んでる場合じゃないでしょう!」
トウコの言葉にクダリは納得いかないといった様子で眉を寄せた。
「心外だなぁ!ぼくはいつだってしんけ…」
『ぴんぽんぱんぽーん』
突然、車内にチャイムが響き渡った。
クダリがそれを聞いて首をかしげる。
「あれ、運行中に車内アナウンスなんて珍し…」
『一体なにをやっているんですかあなたはあぁぁ!!』
クダリのつぶやきを遮って、車内にノボリの怒声が響いた。キイィィィンといやなおと顔負けのすさまじい機会音が響く。クダリとトウコは反射的に耳を塞いだ。
『姿が見当たらないと探してみればこんな…とこ…ろ…に』
そこまで言って、げほげほと激しく咳き込む声が聞こえた。
「…!ノボリ!」
車内の声は直接管理室に届かない。クダリはパソコンの横にある内線を半ばはぎとる勢いで掴んだ。
『ちょっとノボリ!ちゃんと寝ててって言ったでしょ!』
『げほっ…そんな寝てられませんよ!今日だって業務もたまって…』
そんなノボリの反応にクダリはイライラと足を鳴らす。どうしてノボリはこうも仕事のことばかりなのか。ぼくはノボリが心配なのに。
『あーっ!もう!埒が明かない!朝も散々その話した!ノボリはそこにいて!動かないでよ!動いたら絶交!』
そう言って返事も待たず一方的にがちゃんと無線機を叩きつけるように戻した。そんなクダリの様子にノボリも理解を示したのかアナウンスの方からも返事は無い。やるべきことが見つかったところでついでにギギギアルもボールへと戻し、さっさと移動の準備をする。バトルの続きをする気などさらさらないようだ。
トウコが心配そうに声をかける。
「ノボリさん風邪なんですか?」
「そ。熱もあるのに電車乗るって聞かなくて。だから置いてきた。運休はやだっていうからぼく代わりをやろうと思って。」
めちゃくちゃ反対されたけど、とクダリは不満そうだ。
「なんとなく想像できる気が…」
トウコはそう言って苦笑い。
「まぁ、挑戦者がトウコでよかったかも。じゃ、ちょっとぼくノボリのとこ行くね!」
「わかりました。今日はクダリさんの頑張りに免じて許してあげます。」
そんなトウコの返事にクダリはにへ、と笑う。
「ありがと!じゃ、このあとは職員の指示に従ってね!管理室はこっちのが近いんだ。」
そう言うとトウコがどういうことかと聞き返す間も無くクダリは隣の運転車両に飛び込み、運転席脇にある緊急停車ボタンを押した。
すると大きな衝撃と共にブレーキ音が響いた。
「うわっ!」
トウコはとっさの衝撃に驚いて吊革をつかむ。
しばらくして電車は完全に止まった。
「じゃ!」
運転席からひょっこりとでてきたクダリは、トウコに軽く挨拶すると手動のレバーを操作して扉を開け、そのまま飛び降りて走り去っていった。
「それにしても…バトルがなかったらほんとどっちかわかんなかったなぁ。」
車内に取り残されたトウコはひとりごちた。
「ノボリ!!」
ばんっと大きな音をたてて鉄製の扉をクダリは開け放つ。
「あ!ボス!よかった!早かったですね!」
ノボリのコートを着たクダリに若干驚きつつも、管理室にいた鉄道員はほっとしたような表情を浮かべた。
「ノボリは?」
「あちらです。」
鉄道員が指し示したその先に、ぐったりと机に突っ伏すノボリがいた。
ノボリのコートはクダリが着ているため、上はいつものワイシャツだけと非常に薄着である。クダリはこれではいけないと、ダブルトレインに呼び出されたときのために持ってきていた自分のコートをノボリに着せた。
「もう!なんで起きてきちゃったの?ノボリ、また熱上がってる。」
ノボリの額に自身のおでこを当てて確かめながら、クダリが言う。
「…………。」
先ほどの威勢はどこへやら、ノボリは黙ったまま。
そんなノボリをおかまいなしによいしょと背負うとクダリは鉄道員に指示を飛ばした。
「まず緊急停車した車両の乗客の誘導。それから今日はシングル、マルチは運休にして。ダブルも臨時ダイヤに変更。本数減らして。ぼくはノボリについてるからお客さん来たら放送で呼んでね。」
「はい!了解しました!」
そう言って敬礼する職員を尻目にクダリは管理室をでた。
かつかつ、と人気の無い廊下を歩く。さすがにまだ日も落ちきらないこの時間に社員寮へと戻る者はいない。しばらく二人とも無言だった。
クダリは早く部屋に戻らなければとノボリの負担にならない程度に足を早めた。背中を通して、ノボリの熱が伝わってくる。少々荒い息づかいが苦しげで、クダリはその様子に顔をしかめた。
つとノボリが口を開く。
「すみません…結局…あなたに迷惑を…。」
そう言うノボリに苛立ちを隠しもせずにクダリは答える。
「……ほんとう!そうだよね!」
「………。」
「ノボリががんばりやなのは知ってるけどさ、もうちょっとぼくを頼ってよ。ぼくは、ノボリの分まで背負ったって全然!なんともないんだから!ノボリが側にいないことのほうがよっぽど辛くて。苦しい。」
「クダ…」
「ノボリ、ぼくってそんなに頼りない?」
「!いえ!そんなことは…!」
「じゃ、決まり!次から疲れてるときとかちゃんと言って。これ約束。」
クダリはちらりと肩越しに振り返っていつもの笑顔で笑った。今まで、その笑顔にどれほど助けられてきたことだろう、ノボリはつられるように珍しく口角を上げて片割れの耳元でぽそりと、わかりましたと呟いた。
その返事を聞いてクダリは満足そうに笑みを深くする。
「じゃあまずはしっかり風邪治してよね!ぼくは仕事も、ポケモンも、ノボリと一緒がいい。」
「わたくしも…です。」
そう言って、二人は互いに顔を見合わせてはにかんだ。
「よいしょっと!着いた!」
社員寮を抜けたその先、少し奥まったところに二人の部屋はあった。向かって左がノボリ、右がクダリと部屋はそれぞれ二つならんでいるのだが、いつもはクダリがノボリの部屋に居座るようにしているので、寝るときは二人で寝る。
クダリはノボリの部屋に直行し、ベッドまで来るとゆっくりと彼を下ろした。とりあえずコートだけ脱がせて布団に寝かせる。
これでよし、とひとり頷いてベッド脇に膝をつきながら、クダリはノボリにかけた布団をぽふんと叩いた。
クダリは未だけほけほと咳き込むノボリに対し、手袋を外した手でこぼれた前髪をかきあげるようにおでこに手を当てた。まだ大分熱かった。歩き回った分、さらに熱が上がってしまったのかもしれない。
クダリの手が気持ちよかったのか、苦しそうに頬を上気させながらもノボリはすう、と目を閉じた。
しばらくそうしていたあと、クダリはふと思い立って立ち上がる。
「そうだノボリ、熱あるときは水分とらなきゃダメだよ。ちょっと水分とってくる!」
そう言ってその場を離れようとしたクダリは、しかしてまたもとの体勢に直った。ノボリがクダリのコートの裾をつかんでいたのである。
「どしたの?」
「……で…まし。」
「え?」
「…行かないで、くださいまし。」
熱のせいか、うっすらと瞳に涙を湛えてノボリは懇願した。
「……でも、水分はとったほうがいいよ?」
クダリの返答はノボリの身体を気づかってのことである。事実、熱のせいで脱水症状でも起こせばそれこそ危ない。
しかしノボリはいやいやと首を振った。
「水は、いいんです。…クダリ、ここにいてください。行かないでくださいまし。」
わかった、とクダリはいつもの笑みを浮かべた。布団の中に手を入れて、ノボリの手をしっかりと握った。熱を持った手が力なく握り返してくる。
「どこにも行かないよ、ノボリの側にいる。」
――だから、今はゆっくり休んで。